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無意味のような生き方

哲学専攻の大学院生が怒りと無念をさえずるブログ。

25歳やっかみ宣言

エッセイ/思うこと

世の中に愚痴は2種類ある。「理にかなった愚痴」と「ただのやっかみ」だ。

理にかなった愚痴は、他人もうんうん頷いて聞いてくれる。代表的なのは〈不当に評価されてる系〉だろう。

・自分の方が結果を出しているのに、コネ入社の人の方が優遇されている
・合コンで誰よりも盛り上げたのに、結局お持ち帰りするのはイケメン

学生時代の〈ヤンキーがモテやがって〉もこの1つだろう。俺たちは他人に迷惑をかけず、勉強・部活に頑張っているのに、ヤンキーがクラスのマドンナと付き合う。こんなのおかしい...。

あと、勤務先がブラック等の〈社畜系〉も「理にかなった愚痴」だろう。

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僕はこの「理にかなった愚痴」が嫌いだ。この種の愚痴はなんというか、常に正義がこっちにあって、言ってる本人がそれを意識しているのがカンにつく。努力した人・実力のある人が報われるべきなのは当然。最初から殴られないことがわかっててリングに上がるふりをする感じ。

この対局にいるのが「ただのやっかみ」だ。

・優遇されている同期が許せない。俺のほうが努力もしていないし結果も出していないが。
・女と話しやがって。盛り上がりやがって。付き合いやがって。

学生時代、ヤンキーよりも、クラスの上位グループにいる男が嫌いだった。今も天才よりも、普通に頑張って結果を出している人間にイライラする。

「理にかなった愚痴」が言われた方にダメージを与えるのに対し、「ただのやっかみ」は言った当人が嫌われるだけだ。言われた方は傷つかない。だってめちゃくちゃなことを言っているだから。

どんどんやっかんでいくぞ。

野球に詳しくないということ

エッセイ/思うこと

野球に詳しくない。どのくらい詳しくないかといえば、球団の名前は全部言えないくらい詳しくない。現役の選手も(メジャーを除いて)3人くらいしか言えない。試合が9回まであることは知っているが、エラーの定義が何なのかは知らない。つまり、普通レベルに詳しくない。

野球が好きな人は多い。男が数人集まったときの話題として、単純な数だけでいえば一位は野球なのではないかと思う。僕の周りでも何かと野球の話をしている。

大学時代の5年間を広島で過ごした。この間、大学時代の友達と話していたら、ラジオで野球中継を聞きながら通勤しているという。理解できず爆笑してしまう。今までそんな素振りは見せなかったのだが、環境は恐ろしいものだ。僕もあのまま広島にいたら...と思う。野球を好きになっている姿は想像もつかない。もしかすると、猛烈なアンチカープになっていたんじゃないだろうか。家に引きこもって、外にいる人々に呪詛を投げかける生活。ゾッとする。

◯ 野球について話せること

球漫画はいくつか読んだ。特に『キャプテン』『プレイボール』は大好きだ。今でも、何かに取り組むときには、キャプテンの順番でやるのが良いと思っている。

とにかくがむしゃらに頑張る谷口期
他人の意見を素直に取り入れる丸井期
一つの目標に向けて現実的な努力をするイガラシ期
長く続けるため、楽しみ、人を育てる近藤期

あと『ドラベース』もコロコロで昔好きだった。

◯ 野球について気になること

何をすればいいだろうか。話せることがないのだから聞くしかないように思われる。質問を考える。

・ファンになった理由

・どんな時にテンションが上がるのか

・野球が好きで良かったことはあったか。

ダメだ。これ以上思いつかない。

◯ この国で野球に詳しくないということ

トムソーヤになるわけでも、石を投げられるわけではない

ただ、ミョウガが食べれないくらい生きるのに困る

『ゼロから始める オクテ男子愛され講座』 ②

本の感想

↓前回のブログ↓ 

ikenohotori.hatenablog.com

 引用(モテる方法)+ 自分の感想

STEP7 「片思いの温度」の理解が成功の鍵

要するに「いい人」になること。それが初心者が彼女を作る一番の王道です。 

唐突だが、僕が言われたいセリフ、ベスト2を発表したい。

2位は「いい人ですね」

昔から悩み相談の頻出ワードだが、なぜこれが嫌なのか分からない。”嫌っていない宣言”をしてくれた事が大変うれしいじゃないか。ちなみに僕は一度も言われたことがない。

1位は「黙ってばイケメン」

これもすごくパンチ力のある褒め言葉だ。顔の高評価に加え、お喋りだと認めていのだ。これも一度も言われたことはない。

 

女性が一緒にいて楽しいと思うのは、リラックスして会話を楽しめる男性。感情は相手に移るので、あなたが緊張していると相手も緊張するし、あなたがリラックスして楽しんでいると相手もリラックスして楽しめる。

これも難易度高い。自己評価がだだ下がりの時期だと、俺なんかと話すよりも沈黙の方がマシだろうと考えてしまう。

 

【STEP8 正しいアプローチ】

[理想的なメールの文面]お疲れさま!前に言ってたパスタの美味しい店、よかったら一緒に行きましょう。来週か再来週の予定はどうですか?

行きま「しょう」って凄い。誰でも言える「お疲れさま」からの、ステップ、ジャンプが超人レベルだ。「よかったら」という仮定からの「行きましょう」は、文法的に成立してるのか。そして来週か再来週というアバウトな日時の指定よ。断りにくいかもしれないが、断られたら100%嫌われてるのがきついですね。

 

「会っているときはデレ、メールはツン」
初心者はその逆をやってしまいがち。会っているときはあたりさわりのない会話をして、もちろん手をつないだりもしない。そしてデートしたあとに「今日はすごく楽しかった!やっぱり○○さんは素敵な女性です!ぜひまた会いたいです!」と好意丸出しのメールを送ってしまうとか。

これも難しい。内向的あるある「メールだとテンションが高い」の逆だ...。なんかだんだん腹が立ってきた...。

 

ジョナサンな態度を心掛けて「変なことする人じゃない」という信頼感を与えましょう。かつ「友人と食事に行った」「同僚と飲みに行った」という話をさらっと出して「友達もいて健全な社会生活を送っているアピール」をしてください。

これ!!穂村弘がよくやってるやつだ。彼はさりげないところで友人(特に女性)を登場させるのが非常にうまい。

 

親しくなる前は「長時間だと会話が続くか不安」「お酒が入った方がリラックスできる」と考える女性が多いので「さくっと晩御飯」がおすすめです。

 「さくっと」という擬音が嫌い。

 

【STEP9 友達どまりの脱却法】

女性はどんな時にドキドキしてときめくのか?主にこの2つです。
・「男らしい」「頼りになる」と感じたとき
・「手をつなぐ」など肉体的接触をしたとき

 今までの何だった!!!結局いい人いらんやんけ!!!

 

皆さんも自分が女だったら、どっしり受け止めてくれる包容力のある彼氏を求めませんか?現代社会に生きる女性は日々戦っているので、好きな人の前では「自分」をさらけ出したい。でも自分より弱い男の前ではさらけ出せない。

なんかなあ。まず女性に対し「守りたい」と全く思わないから、「守られたい」女性の気持ちも全く分からないんだよなあ。どっしりと受け止める男は同性から見て全く憧れない。むしろ自分に自信なくてもがいてる男の方が数倍魅力的に思える。現代社会に生きる女性は日々戦っていて十分「強い」はずなのに、さらに上の強さを求めているのか...。なんかもう完全にどうでもよくなった。

 

初デートは「お試し感覚」で会う場合も多いけど、2回目のデートに来てくれたら「ほぼ確実に嫌われてはいない」と言えるでしょう。そのあと、3回目のデートに来てくれたら「好かれてる可能性も高い」と考えられます。

もういい。途中だけどやめる。③はもう書かないと思う。好きなように生きようよ。これが好きという自信をもつことと、あとはできる限りで相手のことを慮ればいいじゃない。まず、これ読め。

 

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 大丈夫、まだ二村ヒトシがいる。

概念と規準

哲学

サールの『言語行為』の序盤が啓発的だったのでメモ。

クワインの分析性批判への応答。クワインは「緑色のものは凡て延長している」という文が分析的か否か判別不可能であることを理由に、分析性という概念の妥当性を攻撃した。]サールによれば、ある概念が不適切で欠陥があり首尾一貫していないことを、反例を提出することによって示すことはできない。例えば、分析的な文の規準として〈アルファベットの「A」の文字で始まるとき〉というのが提出されたとする。これに対し、そんなのは分析性とは無関係だと主張したり、「A」から始まる分析的でない文を反例として出したりするだろう。だが、その文が反例としての力をもち、「A」から始まるという規準は不適切だとなぜ言えるのか。それは、「分析的」という語の意味を、予め知っていたからに他ならない。一般に、ある概念が理解されていることを前提してはじめて、その概念の適用規準が適切かどうかが判定可能である。

うむー。
最後の部分はどうなんだろう。概念理解をどう捉えるかが大事もしれない。確かに、何かを反例として出すには、最低限の意味では理解してる必要があるだろう。けど、これだとサッカーボール見せられて、「違う」って答えたら、クリケットボールの概念を理解していることにならないか?クリケットボールが〈ボールであること〉と〈サッカーボールでないこと〉しか分かってなくても、否定できちゃうよなあ。

別な例を考える。最近気になっている類似性。上記の議論だと、AとBが似ている/似ていないって判断できるためには、類似性概念を理解している必要があるかも。では、AとBがFであるがゆえに似ているという場合はどうか。Fで説明できるかどうか判定不可能だと言われるとき、何が攻撃されているのか。類似性概念の理解はきっとノープロブレム。問題は、説明できるできないの区別があるかどうかだ。ただ、それは明確な例と明確でない例を出せれば良いのではないか。選言的性質は明らかに果たしてないじゃん。オーケー。

 

言語行為―言語哲学への試論 (双書プロブレーマタ)

言語行為―言語哲学への試論 (双書プロブレーマタ)

 

 

砂の城

11月。約2ヵ月後に修論の提出を控えている。進捗は危機的状況であるが、後年思い出すために、これまでの院生活1年半を内省的に記録をしておく。

2015年4月。私は哲学系の大学院に入った。大学時代に不勉強だった私は、大学院に入るまで、ノートとブログの上でしか哲学(まがい)の文章を書いたことがなかった。砂の城でたとえるなら、周りに誰もいない自分の家の庭に、好き勝手に建てていた。未完成でも誰も気にしないし、学問的に不適切でも何も言われない。他人と比べる環境がなかったので、自分の能力に自信をもっていた。当時は、哲学をやらないと生活が送れないと信じ込む程のめり込んでおり、ここで本格的に学ばないと一生後悔すると思って、大学院に入学した。

入ってからは苦しみの連続だった。頭の出来から違う人に何人も会った。知識よりも議論スキルの高さに驚かされた。俺みたいに止むに止まれぬ気持ちで哲学をやっている人は誰一人いなくて、みな知的能力のやり場として研究しているような人ばかりだった。よく、才能のある人なんて僅かだと言うが、確かにとんでもなく才能のある人はいないだろう。だけど、俺と彼らの間には明らかな才能の差があって、その差はもしかすると人生で埋まらないかもしれない量だった。僕は、今までの自分の家の庭から、急に都会の巨大自然公園に来てしまったような気分だった。周りで山ほどすごいものを見せられた後に、自分で作る気など全く起こらなかった。

発表は4回した。1回目は1年の12月で、次は2年の6月だった。どっちもボコボコにされた。1回目のときは3時間かけて原稿の一行一行を批判された。途中、「もうやめてくれ!!」と本気で叫びたくなった。褒める言葉は一つもなかった。僕の城は、跡形もなく粉々に破壊された。今後に活かせそうな所は何も残らなかった。

2016年4月から就職活動が本格的に始まった。僕は遊び場(哲学)にほとんど寄らなくなっていた。前みたいに自由に遊ぶことはできない。一人でやっていても有能な人たちの影がちらつく。

9月。修論の中間発表のため遊び場に戻ってきたとき、そこは雑草だらけだった。僕がいない間、周りは着々と自分の城を作り続け、確実にスキルアップしていた。僕は何も書けなくなった。見せるのが恥ずかしい。実力不足がバレたくない。書いても確実に批判されるから怖い。寝ても寝ても眠い状態に陥り、結局、夏休みはほぼ勉強しなかった。

10月。指導教官に怒られて数日後、いよいよ追い詰められた僕がやったのは、どでかい塀を建てることだった。まず、たまにしかゼミに行かない。たまに行っても質問だけして、人の話は聞かずに帰る。とにかく周りの有能な人達を視界に入れないようにした。一人で論文を書くときも、心のなかから沸き起こる有能人間のプレッシャーには「うるせえ!」「関係ねえぞ!」と暴言を投げつけた。何度も。そして次に、砂場の草むしりを始めた。最先端の論文を読むことは止めて、入門書を一から読み始めた。身の丈に合ったことをやろうと思った。新たな発見はないがスイスイ読める。少しだけ自信がつき、何より楽しんでいた頃の自分をを思い出せた。さらに並行して、自分への賞賛の言葉をwordで書き貯めた。パソコンを開くときに5つ、閉めるときに5つをノルマに決めた。自分を肯定できていれば、批判されるのを怖がることもなくなるんじゃないかと思った。

11月11日。中間発表だった。ギリギリまで原稿を仕上げるのにかかり、発表は上手く行かなかった。そして相変わらずの緊張しい&説明下手で、質問にもまともに答えられなかった。だが、論文の内容自体は、思ったほど批判されなかった。説明不足の点や構成のアドバイスや感想をもらっただけだった。まあ、俺にしては上等でしょう。

どう頑張っても今の自分では60点しか取れないとわかったとき、僕は諦める道を選んだ。60点の自分を認めて、その次の70点を目指す生き方は無理だった。60点を見せたときの批判に耐えられない。優れた他人の話を素直に聞き、今後に活かそうと思うことは無理だった。僕は、他人なぞどうでもいいと開き直ることもできず、かといって他人に高評価されるよう合わせにいく能力もなく、ただただ他人の評価に怯え、傷つくのが怖いだけの人間だった。だけど、今はもう、それでもいいやと思っている。そのままの性格で、上手く世間にハマるスタイルを見つけていけばいい。基本的には塀の中にこもって、ゴソゴソと城を作っていこう。それで、たまーに他人(優しい人に限る)に見せて「へー」って思ってもらえたらいい。