無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

修士論文を書きながら励まされた歌

修士論文を書き終えて2週間が経つ。僕にとって修士論文の執筆は、これまでの人生の中で最も長い時間嫌なことに向き合った経験だった。これまでずっと、何か嫌なことが起こりそうだという気配だけで真っ先に逃げていた僕が、よくもまあ乗り切れたと思う。といっても、まだ今週末に口頭試問が控えており、悪夢はまだ終わっていないのだけれど。正直、修了できようができまいがどうでもいい。自分の能力のなさに悶え苦しみながら修論を書き上げた日々に比べれば、中退して就活して辛酸を嘗めることになろうが、平気だ。社会人としての適性を否定されるより、研究者としての知的能力を否定される方が遥かにキツかった。唯一良かったことといえば、この数ヶ月で苦しみに対する許容値がグンと上がったことくらい。

 

以下、私が執筆中に励まされた音楽を羅列する。

 

 

「人にやさしく」 ブルーハーツ


人にやさしく ブルーハーツ 歌詞付き -Hitoniyasashiku The Blue Hearts-Lyrics

 

提出1週間前、指導教官からの全否定コメントに頭がおかしくなり、半ばヤケになりながら聴いていたのがこの曲だった。本当に余裕がなくなった時、結局心をなでるのは小洒落た言い回しではなくて「頑張れ」の一言だと痛感した。大音量で再生し、麻薬のように脳にぶち込みながら書いていた。

 

 

『できっこないをやらなくちゃ』 サンボマスター


できっこないをやらなくちゃ/サンボマスター

 

ストレートな歌詞に励まされる。「君ならできるどんなことも」という過大評価が、自信を失った人にとってどれだけ有り難いか。

 

 

『明日はきっといい日になる』 高橋優


高橋優初監督MV作品「明日はきっといい日になる」オモクリ監督エディットバージョン(Short size)

 

何のためにこんな苦しみを味わうのか。この曲を聴いて、自分の明日のために苦しむんだなと思った。向き合うのがどんなに嫌でも、ここで完成させなければ、僕はたぶん一生何も作り上げられない。どんなにカスな内容でも人に見せなければ、僕は誰でもできること以外、他人の前で何もできなくなってしまうと思った。

あと、この歌はPVも最高だった。僕の場合、自分が無能なのが辛かったので、最初に出てくる男性に自分を重ねてしまう。高橋優の他の曲も全部が響いた。

 

 

『刹那』 creepy nuts

www.youtube.com

 

執筆中、外を歩きながらこの歌のフレーズをよく口ずさんでいた。

「こんなもん ハナから笑い者にされに行くようなもん」

「何もよけるな 何もためらうな 何も恥じらうな 何も怖れるな」

 

 

既に少し仕事が始まっているが、有能にはなれなそうだ。これからも何度も聴くことになるだろう。

野球にまつわる愚痴とか

誰かと話したわけでもないのに溜まっていく野球へのヘイト。
それが一定量に達したので書いて洗い流します。

 

【野球について会話できない理由】
野球はいつの時代も談話のトピックとして猛威を奮っているが、野球という球技そのものが話題に登ることはほぼない。主に話のネタになるのは、「高校野球」、「プロ野球」、「野球ゲーム」、「野球漫画」のどれかである(知らないけど)。この中の一つでも詳しいのがあれば、野球の話題になっても自分のターンでぶっこめるのだが、残念ながら全部詳しくない。何にも知らない訳ではないのだが、どれを選んでもその後の流れで行き詰まるため、八方塞がりであることが想像してみてわかった。

まず、「野球漫画」。僕の唯一知っている野球漫画は、ちばあきおの『キャプテン』である。好きなキャラ、名・迷シーンの数々、自分の人生への貢献、話せることは沢山ある。だが、これは厳しい。ひとが『キャプテン』を知っている可能性はかなり低い。それよりも、『キャプテン』の話をしたことによって、その他の野球漫画の話に移行するリスクが怖い。こっちは『メジャー』も『ドカベン』も『巨人の星』も知らない。コミュ力を発揮され、野球漫画くくりで話を繋げられてしまうと打つ手がない。

次に、「プロ野球」。これが現実的に考えて一番話題に登りやすい。今まで、どうしても何か話さなきゃいけない場合、僕は広島に住んでいたという話をしてきた。話をするというか、単に「広島に住んでいた。」と言う。終わり。カープのことも一切知らないし、当時の思い出もなんにもない。好きな球団も無い。子供の頃はロッテリアが好きだという理由でロッテを応援していた(弟はヤクルトを応援していた)が、今のロッテリアは団体の高校生ばかりで入店しづらいので疎遠になった。今はもっぱらモスバーガーに行きつけているので、球団を作ったら応援したい。(「高校野球」「野球ゲーム」は思いつかないので飛ばす。)

 

【 野球選手の体型について】
前々から、野球選手の体型に違和感をもっている。
活躍している野球選手は総じて巨体である。身長が高いだけでなく、全体的に大きい。だが、俯瞰して見てみると、選手の体つきと、野球という競技はすごくミスマッチな気がする。

野球は、小さな球を木の棒で打ち返す遊びだ。しかも、単に遠くまで飛ばせば良いというものではなく、人のいない場所にうまいこと打ち返せるかどうかが鍵となる。そう考えると、すごくゲーム要素が強い。力よりも小技を駆使して戦うのが正しい遊び方のように思える。にもかかわらず、野球選手はみな巨体なのは、ホームランがあるからか。コソコソ打ち返すヒットよりも、パワーで押し切るホームランのが得点が上というクソ仕様のせいで、野球選手の標準体型が今のようになったのだと思うと怒りを感じる。ホームランが全部悪い。寝る。

 

キャプテン 文庫全15巻 完結セット (集英社文庫―コミック版)
 

 

40年たって彼らはまた何故ここに...

週3でバーミヤンに通っている。
夕方のバーミヤンでは、60代のおじさんとおばさんが一緒にいるのをよく目にする。
夫婦ではなく、ごく最近知り合った友人といった雰囲気。
どこで知り合ったのだろうか。

 

先日も、それっぽい状況の2人が、メニューを見ながら以下のような会話をしていた。

 

男「普段からお酒飲む?」

女「けっこう飲むよー」
男「あー飲みそう(笑)」
女「○○さんは?」
男「俺めちゃくちゃ飲む(笑)」

 

男と女は共に推定60歳である。

こんな日本の酒場で1日1万回なされている会話を、還暦を過ぎたおじさんとおばさんがやっているのだと思うと辛い。「いい年して格好わるい」というのもあるが、それよりも、大学2年生の春にする会話パターンを60越えてまだやらなくちゃならんのかと思う。20歳になった時、成人しても驚くほど変わっていない自分を目の当たりにした。60になっても案外変わらないのだろうか?長く生きても、円熟することも経験値が積もり重なることもなくて、世界に何ひとつ影響を与えない会話をし続けて終わっていくだけなのか、と思うと苦しい。

 

そして、このおじさんがきっとマシな方なのも苦しみに拍車をかける。想像でしかないが、バーミヤンで同世代の女性と酒&おしゃべりを楽しむのは、(独身)おじさんの中ではけっこうエリートの方なんじゃないだろうか。一人で来て紹興酒を頼み、何をするわけでもなく料理が来るのをボーっと待ち、来たらがむしゃらに食って帰るだけのおじさんをよく見かける。僕はこっちのコースに順調に向かっているけれど、最初のおじさんにも全く憧れない。かといって、いつもの仲間(嫁含む)といつもの会話をループしているのも嫌だ。要するにこれは、目指したい老後がない問題。  

 

 

10年たって彼らはまた何故ここにいるのか…―why

10年たって彼らはまた何故ここにいるのか…―why

 

 

『白と黒のとびら』 第9章 「不毛な論争」まとめ ①

白と黒のとびら』(川添愛、東京大学出版会)を読んでいる。

前半の山場である9章「不毛な論争」の内容が、一度読んだだけでは頭に入ってこなかったので、ここにまとめておく。

 

証明
①『規則』で表せる文はすべて『装置』で表すことができる。
②『装置』で表せる文はすべて『規則』で表すことができる。

 

「装置」の定義(p.174)
・白と黒の扉のついたいくつかの部屋からなる遺跡であること。
・一定の条件に従って、筒の中身が変化すること。
・どの部屋でどの扉を選ぶか、また筒の中身がどのような状態にあるかによって、移動先の部屋が決まること。
・筒の中身は、後から入れたものほど先に出され、先に入れられたものは後から出されること。

 

「規則」の定義(p.174)
・「→」の左側に「いずれ何らかの文字列に置き換えられる記号」を一つだけもつものがあること。
・「→」の右側に、文字列か、「いずれ何らかの文字列に置き換えられる記号」か、あるいはその両方をもつものがあること。

 

予備知識
第一古代クフ語(一つ以上の○の後に、同じ数の●が連続する文字列のみを文とみなす言語(p.78)。この言語の文の例:○●、○○○●●●、○○○○○○●●●●●●。)
以下で、この言語のあらゆる文が、規則と装置のいずれによっても表現できることを示す。

 

f:id:ikenohotorino:20161124083351p:plain★(1)と(2)の規則によって、第一古代クフ語のあらゆる文は表現可能。

・最初に(2)を使うと○●という第一古代クフ語の最短の文が作れる。
・最初に(1)を使うと、Sが残るため、次に(1)か(2)を使用する必要がある。ここでもし(2)を使うと、○○●●という二番目に短い文が作れる。(1)を使うと、また(1)か(2)を選ぶ地点に戻る。(1)を繰り返すことで文を無限に長くしていけるため、規則(1)(2)で第一古代クフ語のすべての文が表現できる。

 

f:id:ikenohotorino:20161124084422p:plain

 

★この装置によって、第一古代クフ語のあらゆる文は表現可能。

・出口へ行くためには部屋Bに行く必要がある。だが、部屋Bへ行くためには黒い石が必要であるため、少なくとも1回は部屋Aで白い扉を開かなければならない。そこで部屋Aで白い扉を開くと、黒い石が手に入る。ここで黒い扉を開くと部屋Bへ移動し、黒い石は取り去られる。もしここで筒が空ならば、出口に着く。これが最短(文○●)。
・もし、部屋Aで二回以上白い扉を開けると、その分だけ黒い石が溜まる。筒が空でなければ外に出られないため、二回目以降に獲った黒い石は部屋Bの黒い扉を同じ回数だけ開けることで消費される。従って、部屋Aでの二回目以降の白い扉を開けた回数と、部屋Bで黒い扉を開けた回数は一致する。
・部屋Aで白い扉は何度でも開くことができるため、第一古代クフ語のすべての文を表現することができる。

 

ひとまずの結論
・第一古代クフ語に限っていえば、あらゆる文は『規則』でも表現できるし、『装置』でも表現できる。
・証明したいのは、古代クフ語全体について、『規則』で表現できる文は『装置』でも表現できて、その逆も成り立つということ。言い換えれば、『規則』で表現できて『装置』で表現できない文(あるいはその逆)は存在しないことを示す。あと数ステップ必要みたいだ。
・[ひとつ思うこと]第一古代クフ語の文は無限個存在する。『規則』や『装置』は、第一古代クフ語のあらゆる(無限個の)文を表現できると言い切ってよいのだろうか。ある文について対応する『規則』や『装置』は示せる。が、それに尽きると言ってよいのか。もちろん直感的には分かるけども。南無―。続く。

 

 何気に戦闘シーンもあって面白い。

ジャガビー好きとは話が合わない

お題「今日のおやつ」

最近、自分の年齢に引く。なんでこんな奴が25歳なんだ。11時過ぎまで寝て、約束を破りまくり、人と全然喋らず、料理・掃除・洗濯もほとんどしない。大人びた18歳よりは確実に子供だ。平均的な18歳だとどうだろうか。なんとか勝ちたいところ。

自分が想像してた20代中盤と比べて一番驚くのは、未だに「おかし」を食べまくっている事だ。自分の父親がほぼ食べていなかったため、成長したら自然と食べなくなるものだと思っていた。だが実際はガンガン食う。むしろ高校生の頃の方が弟と分け合っていたから量は少なかった気がする。大学生になり、一人暮らしをしたことで、完全にタガが外れた。惰を極めていた大学3年生の頃は、午後5時頃にスーパーに行き、缶ビール2缶、チューハイ1缶、チョコ1片、ポテチ2袋くらい食べていた。チョコは森永のビターチョコレート、ポテチは堅あげポテト のり味オーザック 磯のり塩を好んで買っていた。自転車の籠にこれらを詰め、日が沈む直前の田舎道を走っていたなあとノスタルジー。何もすることがなくて、無意味に遠回りして帰ってたなあ。

現在、最寄りのコンビニがセブンイレブンだ。コンビニお菓子に限っては、ローソンの方がナッツ類が充実していてやや好きだが、他で圧倒的なので非常に助かっている。僕の中でセブンイレブンのお菓子といえば、カリカリコーンだ。最初の出会いは、眼科で目薬が効くまでの時間に車内で食べた時だった。衝撃的な旨さに興奮し無我夢中で食い尽くした。だが、視界がぼやけて商品名を確認していなかったため、その後1年近く食べられなかったという思い出がある。最近デザインがチープになってしまったのが悲しい。(※画像)

今日のおやつ:明治アーモンドチョコ

※光沢がエグい

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ファッション全体論

――われわれはファッション全体として世界と向き合う。インナー、アウター、ジャケット、髪型、靴。それらの総体としてのみ他者と接する――

ファッションに勤しもうというときに困るのは、これらが全体として一つのまとまりをなしていることだ。例えば、僕が突然真っ赤な靴を履くとする。だがこの靴と、普段のグレーのシャツ&黒のチノパンはお洒落的観点からは両立しない。お洒落的観点からみれば、どこか一部を変えてしまうと、他の部分も変えざるをえなくなるのだ。

この問題は装着時だけではない。購入時にも同じような事態が起こる。
たとえば服を買いに行くとき。〇〇を探してるんですという意思表示の後、必ず店員が言ってくるのは、「いつもはこのような感じの服装ですか?」みたいな種類のセリフだ。僕が着ている服を見ながら。やめてくれ。こっちはいつもと違う自分になりたくて来ているんだ。「いや~いつもこんなクソダサい服は着ないんですけどね。今日はたまたまね。もっと明るめな服とか着ますよ、普段は。」と言いたい。だけど無言。そして結局、客観的にオシャレな服なのか、俺が好きだという勘違いのもと薦めたものなのか不明なまま、買ってしまう。髪型もそうだ。服装が大人しいと、初めて行った美容院でも大人しい髪型にされてしまう。

一気に変えることはできないのか。徐々に変化させていくしかないのか
では何から手をつければよいのだろう。

終わり方が分からないので、最後に嫌いなやつを一種類。会社に明るめの茶髪の社員がいたので、茶髪でよいのかと先輩社員に聞いてみた。ある上司の答えは「仕事ができるならいいよ」というものたったが、別な若い社員の答えは「周りがあいつ茶髪にしそうだなって思う奴だったら」というものだった。何じゃそりゃ。こんな考えには絶対にならない。周囲の反応を意識するのはいいけど、それを意識して服装(や身の回りに関すること)を変えたくないぞ。

というか茶髪しそうな人が茶髪にして意味があるのか

意味があるのか???