無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

内気だけが罪

 

『蚊がいる』(穂村弘)という本の「内気だけが罪」というエッセイが面白かった。

 

「この中で好みのタイプがヤクザという女性は手を挙げてください。」
まったく手は挙がらない。だが、と私は思う。現実のヤクザには必ず女がいるではないか。大抵は美人で、かつ複数いたりもする。これをどう説明するのか。私には分かる。ヤクザは内気でないからだ。

 

好みのタイプがヤクザだという人が、仮に全女性の0.001%だとしても、これに人口の半分を掛ければ相当な数になる。そして、ヤクザはヤクザであることを一貫して外部にアピールし続けている。これが重要なのだ。

 

現実世界の中では、内気だけが致命的なんじゃないか。それ以外のどんな弱点や欠点があっても、本人が怯むことなく一定の活動量を維持できれば、ちゃんと自分の居場所を見つけて機能することができるのだ。(※一部改変)

 

 一部の例外は除いて、どんな性格(=タイプ)の人間にも、その性格が好きな人が存在する。「生真面目な人」を好きな人も存在するし、「ロマンチスト」を好きな人も存在する。それを露出していくことで、その性格が好きな人は自然と集まってくる。そうだとすれば、もはや決定的なモテない条件は、自分の内面を見せない「内気」だけということになる。世の中で罪な(モテない)性格は、唯一内気だけであるという話だ。

 

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初めてこのエッセイを読んだとき、恋愛や人付き合いに関する色々なことが腑に落ちた。心当たりが多すぎる。「(見た目で判断して)教授の風格あるね~」とか言われていた友人が、別れてすぐ次の彼女を作っていたりするのも、こう考えると合点がいく。彼は実際に猛勉強していた。しかし、「露出」する上で一つポイントがあるような気がする。「性格のわかりやすさ」である。その人の「実際の性格」が、「キャラのイメージ」とピッタリと当てはまっていることが大切なんじゃないか。言うならばシンクロ率。

 

 

 

この仮説だが、東京ダイナマイトのハチミツ次郎が、TVでモテる理由について話しているのを見て確信した。

 

「中肉中背が好きっていう女子は自分から言ってこないけれど、太っている人が好きっていう女子は自分から言ってくる。僕はそれを逃さないだけ。」

 

「太っている人」というイメージから必然的に導き出される〈よく食べる〉〈器が大きい〉〈包容力がある〉〈細かいことを気にしない〉という特徴。ハチミツ次郎はすべてこの通りに思える(そう見せているのだけかもしれないが。)「太っている人」が好きで近づいてくる人に対して、実は小食です、実は潔癖、実は短気、と言って、モテるとは思えない。実際の性格がキャラのイメージにある程度一致していることが、結構大事なんじゃないか。

 

別な事例として、リリーフランキーがモテるのも説明できる。リリーフランキーを知らない人でも、まず一目見て、タイプ「ゆるいおじさん」だと分かる。そして「ゆるいおじさん」から導き出される特徴〈小~大金持ち〉〈ガツガツしていない〉〈服装がオシャレ〉〈人生経験が豊富〉〈大人の世界(隠れ家的バーとか)を知っている〉にリリーフランキーはぴったり当てはまる。まずキャラで引き寄せられて、しかも性格もキャラ通りだとすれば、完全に逃れられない。

 

わかりやすい演技をしろということではない。意識して一部の動作だけ演じてもすぐにバレる。チャラい人間は歯を磨く時もチャラいのだ。作れば作るほど、どんな性格なのかわかりにくくなって逆にモテなくなると思う。

 

 

結論。 モテないのにモテるように振る舞ったり、いわゆるリア充ファッションをしたりするのは、むしろキャラが定まらず逆効果なんじゃないかと思えてきた。それよりむしろ、女性に慣れてませんよー、女性と喋るの緊張するんですよねー(赤面ブルブル)ってなってた方がまだ期待できるんじゃないか。手始めにフェイスブックのプロフィール欄に童貞と書きましょうよ続く。

 

※2013.10.31に書いた記事を一部修正したもの。

 

蚊がいる (角川文庫)

蚊がいる (角川文庫)

 

 

自己紹介

 プロフィール まとめ(2017.9.30更新)

 

【名前】XXX (@danburutobira

【性別】男

【職業】システムエンジニア(組込み系)

【出身地】長崎県熊本県

 

【経歴】幼少から主に九州を転々とする。長崎の小学校、熊本の中学・高校を卒業後、広島の大学に入学。在学中は大学にほとんど通わず、半ひきこもり状態となる。一時期、自分探しのために中国に数ヶ月住むも、見つからずに挫折。滞在中は、違法動画で日本のバラエティを1日7時間見る生活を送る。卒業間際、ベルクソンの本をきっかけに言語について考えはじめ、哲学を本格的にやりたいと思うようになる。その後、半年間のフリーター生活を経て、東京の大学院に入学。2年間の修士課程を終え、今年の4月からIT企業でエンジニアとして働いている。現在は神奈川在住。

 

 

【好きなもの(これから好きになるもの含む)】

 ■哲学

- 情報科学の哲学。(特に、ソフトウェアの存在論、「層」とは何か。)
- 人々はなぜ不一致するのか。同じ情報をもっていても意見が異なるのは何故なのか

 

■コラム・エッセイ

何でも好き。古今東西のエッセイが読みたい。

 

■心理学・人類学

- 内気/内向型とは何か。なぜ内気が(生物学的に)存在するのか。これからどうやって生きていけばよいのか。生存戦略

- 人はどんな時に「納得」するのか?納得はどのようなメカニズムで生じるのか。

 

情報科学

- コンピュータはなぜ動くのか?(特に、メモリ、OS)

- アルゴリズム

 

■作家

小説:太宰治チェーホフ本谷有希子

漫画:福本伸行阿部共実

 

■お笑い芸人

オードリー、ブラックマヨネーズウエストランド

 

■アニメ

 てーきゅう、ワタモテ、ゆゆ式

 

■食べ物
ナッツ類、カレー、皿うどんフロランタン、くるみパン。

 

■飲み物
白ビール(ホワイトベルグ)、ワイン、炭酸水。

 

■音楽
尾崎豊

 

■ゲーム
信長の野望

思考の早漏

話が続かない。他人とスムーズに会話できない。第一声はまだ良いとしても、その後がまるでダメだ。理由は主に2つある。

 

1つは、最近になってようやく人の目を見て話せるようになったことだ。この度、自信ではなく自暴自棄の精神から、一定時間他人と目を合わせられるようになった。しかし、まだ見れるようになってから日が浅いため、目を合わせるのにいっぱいいっぱいで、何かを考える余裕がない。完全に思考がストップし、話すことが何も思い浮かばないため、会話を続けることができない。

 

もう1つの理由は、話す前に考えすぎてしまうことだ。人の話を聞いている時、いつも結論に到達するはるか手前で、「これはどうなのか?」「何を言っているのか?」と尋ねたくなる。そして、もしここで質問せずスルーしてしまうと、残った質問が脳の全部を占領してしまうので、その後の内容が全く入ってこない。結果的に、こちらから話すことが何も浮かばず、ひたすら黙りこくってしまう。今はこうなる事がわかっているため、早めの質問を行う事が多い。

 

会話力を上げる本では、相手の話によく耳を傾け、相手の言いたいことを引き出すのが最良とされている。この基準に照らせば、僕の会話力はゼロだ。相手が言い終わらない内に質問するのは、会話の規約違反である。質問する時、私たちは先へ進めない。その場で立ち止まり、通ってきた道を戻ろうとしている。これは良いことではない。大事なのは先に進むことであって、質問は先に導くものであければならない(ビジネス書によれば。)

 

早過ぎる質問をしてしまうのは、考えるのが早過ぎるからである。速いでなく、早い。この、考えるのが余りに早過ぎる現象を、「思考の早漏」とよびたい。

 

ちなみに僕より圧倒的にに早漏の人間を見つけた。『ウィトゲンシュタイン読本』のある章の著者である。抜粋する。

 

始めることは難しい。――もちろん、われわれはすでに始まってしまっているのであって、新たに事を始めることなどできないのだという見地もありうる。そのような見地からすれば、何かを始めようと企てることは欺瞞であり茶番だろう。それは、すでに遠く港を離れた航海の途上で改めて空虚な進水式を執り行なおうとするようなものであるから。そのような見地を受け入れて、始めることの不可能性と欺瞞性を認めたとしても、しかし、依然として始めることが困難な時代として立ち現れてくるのはなぜであろうか。それは、われわれが原理的に不可能なことを試みていることに起因するのであろうか。

さて、ウィトゲンシュタインもまた始めなければならなかった。 

 

何も考えずに読み流してしまいそうになるが、文章の構成を考えたら、これはとんでもない文章だ。「始めることは難しい。」の一文を書いた後で、なんと「始めること」について書きはじめている。つまり、たった一文書いただけで、すぐに内省しているのだ。すごいよ。

 

 

ウィトゲンシュタイン読本 〈新装版〉

ウィトゲンシュタイン読本 〈新装版〉

 

 

 

 

クズのルーティン

「ルーティン」という言葉は良い意味で使われすぎている。

 

「ルーティン」と聞いてまず連想されるのは、イチローが試合前に必ずカレーを食べていたとか、キックする前の五郎丸ポーズとか、仕事のパターンが作れれば効率よくいくとか、その辺りだろう。だが、これらをもって、ルーティン=良いものだと認定するのは間違っている。イチローらは元々調子良く行動をしていたからルーティン化してもプラスに働くのであって、ダメ人間のクズな行動がルーティン化したところで誰一人得をしないし、本人のためにもならない。

 

働き始めて5ヶ月。

通勤片道1時間半の場所に配属にされ、否が応でもルーティンはできてきた。

しかし、怠惰で不満足な生活を繰り返して出来るのは、当然怠惰で不満足なルーティンであり、そんなものは誰からも憧れられないのであった。

 

僕のルーティン #平日編

  1. 欅坂46「不協和音」の目覚ましで起きる。
  2. 布団の中で、録画しているフリースタイルダンジョンのどこかの試合を見る。
  3. 電車内では本を読む、バスではスマホを見る。
  4. バス内ではスマートニュースで「はてな」「コラム」の順に読む。その後は、欅坂46関連のまとめブログを読む。
  5. バスは優先席に座る。
  6. 会社の下のコンビニで水とウイダーを買って飲む。
  7. 会社に着くと、僕の右隣の人だけに挨拶し、PCで勤怠を記入する。
  8. 始業後30分が経ったらタリーズコーヒー(120ml)を買う。
  9. 昼休みには、サラダパスタと炭酸水(無印、コーラ、レモンのループ)とフロランタンを買う。
  10. ご飯を食べながら、スマホで「Cakes」の記事を見る。
  11. 15時~15時半ごろに、くるみ or カシューナッツを食べる。
  12. 絶対に挨拶を返してくれる人達に向かって挨拶しつつ、いそいそと退勤する。
  13. 家の近くのスーパーで弁当(チキンカツ、メンチカツ)とサラダとお菓子(ドトールが販売しているチョコ)を買う
  14. 夜ご飯を食べながらウエストランドの「ぶちらじ」を見るか、動画サイトでバラエティ番組を見る。
  15. 23時には寝ようと思いつつ、気がつくと24時を過ぎている。
  16. 陽気な音楽をかけながら明日のシャツにアイロンがける。
  17. オードリーのオールナイトニッポンを聞きながら寝る。

 

ルーティン云々よりも、23時に寝なきゃいけないのがおかしい。じゃあどうして深夜番組があるのかって話だ。その時間に起きていても、次の日の会社に間に合う人が多いからでしょう。さっさとお引っ越すぞ。ルーティンを変えるのが難しいなら、環境を変えるしかない。海の見える場所に。

 

 

 

なぜスマホを見ないのか

電車で向かいの席の人がこっちを見ているとイラっとする。まあ十中八九、彼らは僕を見ているわけではないのだけれど、視線を感じるだけでストレスが溜まっていく。イライラが限界に達して、もうどうにでもなれという気持ちで視線を上げると、たいていはどこか空を見ており、僕とは目が合わない。ここにきてやっと、僕を見ていた訳ではなかったことを確かめられて心の平穏を得ることができる。 

 

ここ数年で、

「なぜスマホを見ているのか 」よりも、

「なぜスマホを見ていないのか」と思うことの方が多くなった。

 

人前でスマホをいじること。それは、「私は周りのあなた達に興味がなく、決して不審な行動を起こすことはありません」という意思表示だ。「私の頭の中は、スマホの画面に映る内容でいっぱいであり、いかがわしいことなんて全く考えてませんよ」という無言の宣言だ。私はあなたたちに興味がないというアピール。スマホをすることによって他人に与えているものは、相手が自分に興味がなく、おそらく何もしてこないだろうという安心感である。無我夢中でスマホにふけることは、周りの人々に直接的な害を加えないことの証明になる。

 

これまで僕は電車内でスマホにふける人が大嫌いだった。だが最近ではむしろ、「頼むからみんなスマホを見ていてくれ」と思っている。電車内でスマホをしていない人をみかけると、「お前がスマホを見ないことによって快適に過ごしている周りの人たちの生活を壊していることに気づけ」と心の中で愚痴る。時間潰しでしかないと考えていた過去の自分は、物事が一面でしか見えていなかった。電車内スマホ、歩きスマホ、食事スマホ。これらは全部、自分のためでなく、人のためにやるものだったのだ。

 

安心感を与えられることは、生活において様々な場面で本当に役に立つ。例えば、前から歩いてくる子供とすれちがう時。親の立場からすれば、僕のような素性の明らかでない人間を、子供と数十センチの距離に近づけるなんて、可能であれば避けたいと思うだろう。そして、もし距離が近づくのがしょうがないのであれば、次に欲しいのは僕が安全な人間であるという証拠であるに違いない。そう、ここでスマホである。ただ一心不乱にスマホに顔を近づけているだけで、子供をもつ親は安心する。我が子にとって、(将来的にはともかく)少なくとも現時点においては、この男は危険人物ではない。そう判断されることだろう。また、別なシチュエーション。エレベーターに乗っていて、女性と2人になった時。こんなときでも、スマホがあれば大丈夫。スマホを見ながらニヤニヤしていれば、この人は画面の向こうのエロに集中していて、目の前の女体には興味がないんだなと思わせることができる。

 

先日、ここに書いたような話を友人にしたところ、スマホで盗撮されているかもしれないのだから、むしろ不快感を与えているのだと反論された。彼によれば、スマホをしている状態は、手ぶらでできること全てができる上に盗撮までできるのだから、相手を害する手段は増えており、むしろ不信感は大きいらしい。だが、僕が訴えているのは犯罪の可能性の数ではない。周りの人間が彼に帰属させる最もありそうな物語は何かという話である。
とはいえ、彼の言うことも一理ある。スマホの裏側を向けられるのはいい心地がしないだろう。よって、最も安全なのは、スマホの表側を向けて永遠と自撮りし続けることだ。

 

『勝手に選別される世界』

 

2016年ベスト本。

 

勝手に選別される世界――ネットの「評判」がリアルを支配するとき、あなたの人生はどう変わるのか

勝手に選別される世界――ネットの「評判」がリアルを支配するとき、あなたの人生はどう変わるのか

 

 

 

評判(reputation)によってすべてが決まる未来。そこでは銀行がいくら貸してくれるか、大家が部屋を貸してくれるか、会社が雇用するか、デートの相手が誰になるかに至るまで、評判によってすべてが決まる。この世界で生き残る方法はただ一つ、良い評判を稼ぐこと。この本は、なぜ評判が世界を支配するのか、その未来では何が起こるのかについて詳述し、その世界で私たちがどう生きていけばよいのかを教えてくれる。

 

以降、3つのセクションに分けて簡単に要約する。

 

【① 背景:なぜ評判によって決まる世界が到来するのか?】

 

2章 すべてが保管される

評判世界の訪れは、2016年流行りの「ビッグデータ」と大きく関係している。膨大な量のデータを保管できるようになったことは、そのデータを解析する「ビッグアナリシス」を可能にする。評判世界は、ビッグアナリシスによってすべてが決められる世界のことだ。

 

大量のデータが保管されるようになったのには、主に2つの要因がある。

1. 記憶量の増加
1997年初めて太陽系の外に出たボイジャー1号の記憶量が68KBであったのに対し、iphone5Sの記憶量はその100万倍の64GBである。

 

2.  保管≫削除
1000ドルを使って削除できるデータが僅か80万バイトであるのに対し、追加の記憶装置を買うならば、同じ値段で100テラバイトのデータが手に入る。データを削除するよりも新たに容量を買った方が圧倒的に安い。これによって、データを「削除する」という考え自体が消えつつある。

 

この2つの要因により、膨大なデータが永久に保管される。出合系サイトのプロフィール、映画のレビュー、twitterでの悪口、たまたま店員を怒鳴った時に撮られた写真、ホテルで文句を言ったことに対する従業員の書き込み。これらは本人が死んでも残り続ける。更に、今後これらはリンクするようになっていく。ネットに撒かれた画像は顔認証ツールによってフェイスブックのプロフィールと結びつけられる。アメリカにはそれを得意とする「スポキオ」という会社がかつて存在していたらしい。

 

 

【② 現象:評判世界では何が起こるのか?】

 

4章 すべてが機械化される
DAMM(Decisions Almost Made by Machine, ほぼ完全にマシンに下される判断)によってあらゆる物事が決められる。一番分かりやすいのは雇用だ。大企業に数多く送られてくる応募の中から、最低限の資格(「university」「職歴」)が含まれているかどうか検索され、次のステップに行けるかどうかふるい分けされる。

 

6章 すべてが定量化される
これまで大学は市場(雇用者)に対して2つの役割を担ってきた。1つは「教育」としての役割。雇用者は、大学を卒業した人は一般的な批判的思考力から特定の技術的知識までを含むスキルを身につけているだろう、と一応期待する。もう1つは「シグナル伝達」としての役割。他に何の情報もない場合、雇用者は、ほぼあらゆる仕事に対して、平凡な大学を出た人よりも一流大学を出た人の方がよい仕事をする可能性が高いとみなす。

 

だが、この2つの役割は将来的に不要になる。まず「教育」の方は、同価値をもつオンライン教育が浸透しつつある。さらに「シグナル伝達」の役割(肩書としての役割)も、オンラインテスト等の新たな分析手法によって本人の技能を正確に測ることができれば、完全に不要になる。○○大学という肩書は価値を失い、〈この会社のこの特定の仕事で手腕を発揮できるかどうか?〉という点が判断されるようになる。

 

8章 すべてが互換性をもつ
NBAのスター、レブロン・ジェームズは良いベビーシッターになるか?」この問いに答える方法はこれまでなかった。評判世界では、評判が互換性をもつようになる。ある分野で技能をもつことは、他の分野での技能を発揮する証拠として機能する。評判を集めるエンジンは、その人にまつわる複数の領域を横断してスコアを集積し、スナップショットを提供してくれる。

 

9章 すべてが脱文脈化される
評判世界の恐ろしい所は、一度悪い評判がつくと、それが一生つきまとう所だ。自らに悪い評判がつくことに対し、身を守るすべはない。重要なことは、常に警戒を怠らず、迅速に対応し、被害を最小限に留めることだ。

 

 

【③ 対策:評判世界をどう生き抜くか?】

 

10章 すべてが先手必勝になる
2013年、フェイスブックは膨大なデータを処理するためのデータセンターをオレゴン州に設立しようとした。しかしながら、オレゴン州は環境運動のメッカであり、そこに大量の電力を消費するデータセンターを建てれば猛反発をくらうこが予想された。そこで、建設中、フェイスブックはその議論が生じる前に、議論の枠づけを行うことにした。施設の電力使用量は取り上げず、電力使用の効率性(どれだけ無駄なく使用しているか)をアピールし、むしろエコロジーであると印象づけることに成功した。大事なのは、議論が起こる前に、議論のテーマを自分に有利なようにコントロールすることだ

 

まとめ レピュテーション経済で生き残るルール
・パイオニアになる
・常に先回りをする。
・自分にしかできないことをする。

 

 

【感想】

人と会うたびに相手が自分のことを評価しているような気がして、すごく息苦しくなっていた時期に見つけた本。章のタイトルをざっと見て「これや!」と思い、即借りた。

ただ、内容は僕が感じていたものとは違って、評価・評判主義を批判した本ではなく、評価主義に否が応でも向かっていく未来を予言した本だった。評判世界では、評判・評価から逃れるこれはできない。なぜなら、評判を発信するのは人だけではなく、twitterのフォロワー数やクレジットカードの残高だったりするからだ。評価されるのが嫌で引きこもったところで評価は下される。そう思うと、どうしようもなくなって少し諦めがついた。

 

僕が評価・評判を嫌いな理由は、評価を得るために必ず競争が起こるからだ。オリンピックのように明らかな競争はともかく、いかにも競争じゃないふりして実は内心で競争している状況が大嫌いだ。勝つのも嫌だが、負けて傷つく自分を知るのも嫌だ。

この本を読んで目からうろこだったのは、評判世界は通常の競争社会を導かないことだ。すべてが「定量化され」「ランク付けされ」ることによって起こるのは、1位以外が価値をもたない世界だ。「世界一」だけが勝者の世の中は、競争社会と呼んでいいのか迷う。(有り体にいえば「超競争社会」となるのだと思う。)

だからこそ、とこの本は言う。世界一しか価値をもたないなら、世界一になればいい。幸いなことに、これからの社会は世界一を見つけてくれる。ヨーヨーが世界一上手い人、世界で最も優れたピエロ、そして、世界一の「ヨーヨーができるピエロ」も、評価世界は見つけ出してくれる。自分にしかできないことをすればいい。