無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

最終日に早く寝たら勝ち

2日前に映画の『何者』を見た。流石にもう刺さらないかと思っていたけれど、思い切り直撃した。「10点でも20点でもいいから、自分の中から出しなよ。」「自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見ている誰かの目線の先に、自分のものを置かなきゃ。そうでもしないともう、見てもらないんだよ。」あああああごめんなさい。

 

もうずっと組込みOSを作っているけれど、なかなか完成しない。今年の正月、"helloworld"が表示される所まで出来たので友達に見せたところ、優しく注意された。「プログラム初心者がみんなできる事だから凄さが伝わらない。何が凄いかをプレゼンしてほしい」と。その時は正直ムカついてしまったけど、今思うとすごく優しいと思う。ほんとね、誰も自分がどうやって作ったかなんて見てないし、見ようともしないよね。自分が見せたものでしか評価されないよ。12日に軽く発表する機会がある(かもしれない)ので、そこで頑張れたらひとまず成功だと思いたい。

 

GWは2日休んで1日飲む、みたいな生活をしていた。

 

 

イオンはいつも悲しい

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イオン2階のベンチに座って外を眺めているおじさんだ。土日の昼間はすごく人が集まる場所に、平日の夜に行く贅沢よ。普通の人が車や電車を使ってたまに行く場所に、毎日歩いて行ける便利さを噛みしめる。だが、そんなものは最初の2,3回で弾けて、後はとにかく寂しい。誰かと行くイオンと誰とも行かないイオン。前者は楽しむための1要素だが、後者は無機質な物体でしかない。何もない人生は長すぎる。が、今の暮らしももうすぐ終わる。その後どうなるのかわからないが、いい加減にしたい。色々と。

 

暖かくなってきた

暖かくなってきた。たしかに暖かくなってきた。大事なのは、暖かく「なってきた」ことであって、決して暖かくはないということだ。依然寒いよ。2月前半のような極寒ではなくなったというだけであって、寒いことには変わりない。お昼どきに、もう上着を脱いで外に出る人を見かけるが、心底アホだと思う。外が暖かくなった分上着を脱げば、そりゃ寒いに決まっているよ。2月の時は上着を着てちょうどよかった訳ではなくて、上着を着ても寒かったということを忘れている。今の時期に2月と同じ服装をすることによって、やっとちょうどよくなるんだよ。

 

人の「デフォルト」状態ってほとんど変わらないなあと思う。10年前と比べて、どこにでもスマホを持つようになったくらいで、ほとんど変化がない。どうしてアップデートされないんだろう。性懲りもなく夏に「暑い」と言って、冬に「寒い」と言う。食べて、寝て、信号を渡って、電車に乗る。たぶん14歳から、何も学ばなくてもギリ生きていける。大人になってからの変化は周辺機能ばかりであって、本体はもう変えることができないのを実感する。あとは残りカスをどれだけ絞れるかを競うだけのような気がして虚しいけれど、「寒い」とか「辛い」とか、寿命回数繰り返したくはないなあと思う。どうせ自分は変わらないのだから、変わらなくても良いような世界にしたい。

 

世の中は甘いほうがいい。

客先常駐500日

客先常駐を始めて500日が経過した。1つの客先に2年近く留まるのは、一般的にはたぶん長い方だと思う。色々な事情が重なって、新卒から今までずっと同じ所で仕事をしている。あくまで主観的な判断だけど、優秀ではないが無能でもない所まで来た。少なくとも今の仕事に関しては、かなりできるようになった。これは単にずっとやって慣れただけという側面が強い。努力して人より抜きん出た部分はない。慣れと地頭でなんとかなっているだけで、考えて生きないとこの先は真っ暗だと思う。今のうちにここ2年間のしごとを振り返っておく。
客先で2年間仕事をして、僕が感じた良かったことと悪かったことを記しておく。 

良かったこと

  • スキルが上がった

これが一番大きな恩恵だ。C言語のプログラミングだけではなく、設計書の書き方、機材の使い方、試験のやり方、お客様とのコミュニケーション(会話、メールの作法)を覚えた。人材不足のせいで、何から何までやらせてもらえたのが良かった。チャートグラフで表すと、ほぼ点の状態から、最小限の枠まで引き上げてくれた。独学では絶対に身につかなかったと思うので、感謝している。ただ、これは客先常駐のメリットというより、単に運が良かっただけだ。たまたま人手不足の仕事場にいたのと、たまたま明確な役割分担がされていない現場だったのと、たまたま優秀な先輩が近くにいた環境だった。場合によってはもっとスキルが上がっただろうし、環境のなるようにしかなっていないと思うと怖い。これから先は違うのだろうけれど、少なくとも最初は環境の役割がばかでかい。

 

  • 自信がついた

「仕事は」できるようになった。だって自分が他の人よりも圧倒的にその仕事に関わっているから。同じ状況だったら誰でもできるようになると思う。自分で調査して自分で設計して自分で書いたコードをテストするのだから、他の誰より詳しくて当たり前である。ただ、当然の思考フローとして、不具合が見つかったら真っ先に疑われる。で、結局当たっていることも多い。(コーディング量に対しては少ない方だと思っているけど、比較対象がないのでわからない。)
最低限の自信が保たれない状態だと休日に影響をきたすことも学んだので、その点は良かったと思う。

 

  • 組込みが好きになった

林修先生が「何を好きになるかは環境次第だから当てにならない」的な事を言っていた。おっしゃる通りで、僕も組込みが好きになっているとは思わなかった。そもそも大学に通っている時はエンジニアになろうと一度も考えたことがなかったし、PCのセットアップがものすごく苦手だから向いてないだろうと思っていた。ただ、ニート期間のあいだ図書館で情報系の本を読んでいたのをきっかけに、大学院時代を経て徐々に接近してきた。中でも組込みを選んだのは、当時やっていた哲学に近いものを感じたからだった。当時読んでいた論文の中に、2種類の問いに関する説明があった。「Xとは何か?」という問いは一般的な問い(一般人が思う問い)であり、それに対して哲学の問いは「Xであることはいかにして可能か?」というものである。哲学の問いに対して、(形而上学的な?)説明を与えることが哲学の目的である、と書かれていた。研究者として同意するには根性が座っていなかったが、一般人になった今、好みとしてすごく同意したい。今実現していることから、トップダウン式に考えるのが好き。「printfとは何か?」「文字を表示する関数である」で先に進むよりも、「文字を表示するのはいかにして可能か」について知りたい。誰もが知っていることを深く掘り下げるのが好きなので、結果論だけど組込み系は僕の性質に合っていた。

 

悪かったこと

  • いざと言う時の決定権がない

これはメンバーという立場だからしょうがないのかもしれないが、大事な事を自分で決められないのが辛い。決定権がなく、毎度色々な人に確認を取る必要があるので疲れる。特に入ったばかりの頃は仕事もできず、存在を軽視されていたため、大量の資料が「レビュー待ち」で止まっていた。で、期限ギリギリでレビューされ、大量に指摘を受けてとんでも残業する羽目になり、心が折れる。そういう時、社員であれば気軽に「おねがいしますー」といけるのにと思う。

 

  • 仕事ができると錯覚してしまう

最近、仕事はできるようになったことの弊害をすごく感じている。アドリブでのコミュニケーションとか、軽い冗談に対しての同程度い軽い冗談を入れた応答とか、未だにダメダメな事も多いが、それ以外はそこそこ出来るようになった。だが、それによって自分ができると勘違いをするようになっている。最強伝説黒沢じゃないが、自信がついて他人への当たりが強くなっている気がする。それに、以前なら調べていたことでも必要ないと判断できるようになって、深追いしなくなった結果、最低限の調べものしかしないようになった。あと何より、単純に落ち着かない。今まで生きてきて自分が有能だったのがはじめてな気がする。だけど、今いる会社は、日本の中でたぶんそんなにレベルが高くない。そんな場所で、ただ長く仕事をしているだけで、できるようになったと勘違いしている奴に未来はないだろう。勉強会に行くようになってよかったと思う。

 

  • (やはり)目的はない

SIerの目的って何だろうか?「お客様の目的を情報サービスによって実現する」ことであるならば、こんな他力本願ことはない。しかも客先常駐企業にとってのお客様はだいたい大手SIerである。つまり、お客様の目的を情報サービスによって実現するという目的を情報サービスによって実現するのである。二次請け三次請けとなると、もっと再帰的になる。だけど結局、目的がないのが本質のような気もする。他の会社の目的により適応するのが目的というか、気に入られることが求められているように思う。

 

  • 社内との交流がなくなる

自分の会社内での交流がなくなる。まれに同期で飲み会に行くと、出してくる登場人物がほぼ分からなかったりする。僕にとっては別にいい。

 

  • クソみたいな思考になる。

自分の立場を守ろうとするあまり、情報を隠すようになる。自分だけが知っている情報を「資産」として隠し持ち、人に聞かれない限り教えようとしなくなる。これが一番の害悪だと思っている。IT業界は人手不足なんだよ。社外だろうが協力だろうが情報はどんどん公開してスキルアップさせるべきでしょう。客先の会社が世界になったらおしまいよ。

 

SE職場の真実 どんづまりから見上げた空

SE職場の真実 どんづまりから見上げた空

 

言わずに伝えたいこと

お題「どうしても言いたい!」

 

「言わなきゃ伝わらない」というけれど、仮に言ったとてもその意図までは得てして伝わらないものである。僕など特に他人に主張できる方ではないので、日ごろ困ることが多い。コンビニのレジで「袋いりません」と言ったものの、特に忙しい訳ではないので、テキパキ精算しないでくれと伝える方法はないものか。コンビニのレジって、そもそもが店員さんと客の時間がぴったり合うように設計されている。客が商品を渡す→店員さがをレジ打つ間に客が財布を鞄やポケットから取り出す→店員が商品を袋に詰める間に客がお釣りを渡す→店員が精算している間に客が袋を受け取り、財布をしまう。「袋いりません」と言ってしまうと、客が使う時間の方が圧倒的に使う時間が多くなって、店員を待たせてしまう。有能な店員ほど早く終わらせてプレッシャーを与えてくるので、こういう時はノロノロした人の方がありがたいと思う。

 

ちょうどいい

ちょうどいい

 

 

クズのアウトソーシング

以前、クズのルーティンというブログを書いた。「ルーティン」という言葉は良い方にばかり使われ過ぎて、悪い面を無視しているという話だ。正のルーティンがあるならば、必ず負のルーティンがある。正のルーティンを繰り返すことが大いなる正の結果をもたらすのと同様に、負のルーティンを繰り返すこと(a.k.a.依存症)は、大いなる負の結果をもたらす。 何をルーティンにしたかが大事であって、ルーティン化することが全て価値がある訳ではないという当たり前の主張。

 

ikenohotori.hatenablog.com

 
アウトソーシング」について考える。「ルーティン」に続き、良い面ばかりが強調されている気がする。「アウトソーシング」という言葉の語源は、「調達する・供給する」という意味の「source」の頭に「out(外部)」がついたもので、外部委託という意味で使われている。自分の力だけで生きていくことができない天才が、生活に纏わることをアウトソーシングする、という文脈で見かけることが多い言葉だ。

 

まず「服」。まず、特に服を洗うことをアウトソーシングし、コインランドリーの利用者となった。しかし、仕事が忙しくなるにつれ行く余裕がなくなり、服の管理自体をアウトソーシングするようになった。つまり、僕の仕事用のシャツと靴下を近所のファミリーマートで管理するようになった。金銭が介在しているだけで、家のクローゼットとしてほぼ毎日使うようになった。

 

あと最近は「思考」についてもアウトソーシングするようになった。自分より早く思いつく人がいる場で、わざわざ考えようとしなくなった。考えなくても、誰かが僕が言おうとしてたことをもっと上手く言ってくれる。