無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

まあ、カズレーザーとかもいるし

 今週末、一人で映画を観に行った。

豊洲の映画館で『プーと大人になった僕』を一番遅い時間帯に鑑賞する。内容の感想はあまりない。やってほしいことを全部やってくれたので満足感が得られた。「なにもしないをするのが最高な場合もある」(売る覚え)というのがテーマだったが、「場合もある」の部分のせいで教訓めいて微妙だった。仕事と家庭を天秤にかけて仕事を選んできた男のラストが、家庭が一番大事、だけど仕事もちゃっかり上手くいく、では誰も納得せんでしょう。かといって、家庭を大事にして失職する話だったら難易度が高すぎるかもしれないが。『最高の人生の見つけ方』がそうだったが、映画の中では家族が一番大事とうたいつつ、最後に社会的にめちゃくちゃ成功するというラストがもやもやする。最終的には成功と金で納得させてるやん。

 

最近、仕事で少しやらかした。「やらかした」と文字にして書くべきだと思う。大人数かつ複数のチームで仕事をしているから、誰か一人に全責任があるということはない。けど、一番責任が大きいチームの、一番責任が大きい人間は、間違いなく僕だった。発覚したときはグエーッとなったが、後に爽やか。まだまだ自分はしょぼいという事がわかった。その仕事は片付いていないけれど、週末で燃え尽き症候群になった。何もしないで2日間丸くなり、やっと日曜の夜に映画を観に行けた。

 

映画館を出たら、観覧車が光ってた。カップルが並んで夜景を見ている間を通って、前を向いて帰る。駅までの帰り道、すれ違う人が全員普通に見える。僕が来ている服と靴と鞄はすごく変な気がする。前を横切る人たち(だいたい複数)をずっと目で追っていたけれど、僕みたいな人はいなかった。参加する資格の他に、楽しむための資格がいることが多すぎる。歩いている人全員がきちんと服を着ている時点で本当は偉いはずなのに。ファッションがまともじゃないと好かれない?まあ、カズレーザーとかもいるし、そんなこともないと思いたい。