無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

人生の出発は、つねにあまい。

2018年末。ファミリーマートの鶏めし&みぞれチキン弁当を食べながら年を越した。わんこそばの代わりにカップ味噌汁と一番搾りを飲み、紅白とガキ使の代わりにyoutubeで日本中のフリースタイルバトルを見ていた。バトルの負けてる方を嫌いな会社の人間に重ねながら、何度も見たバトルなので頭の中で覚えている言葉を映像に合わせて復唱し、熱くなっていた。年をまたぐ瞬間は、abemaTVのニュース番組で小川アナを見ながら迎えた。2019年最初に見た女性が小川アナって、めちゃくちゃ贅沢だ。

 

フリースタイルバトルを見まくった後は、さぞ日常会話も上手くなっているだろう思うのだが、実際は驚くほど何も変わっていない。むしろ家にいる時間が増えている分、より下手になっていると思われる。この間、最近読んだ『ホモ・デウス』の話を、意気揚々と地元の友だちにしたのだが、反応はイマイチだった。まず、舌が回らない。話しだそうとして、最初の言葉が出てこずに5~6秒沈黙してしまう。極めつけは、「最近すごく面白かったのが~~」という、バラエティっ子とは思えない始め方をしてしまうことだ。

 

自己啓発本は「挑戦」させたがる。お決まりの言い草はこうだ。「とにかく挑戦しろ。挑戦して成功体験を積むことで自信がつき、次また挑戦したくなる」

だけど、この理屈はおかしい。挑戦したら成功するとは限らないはずだ。ギャンブルで成功するコツを聞かれて、「とにかく賭けろ。賭けてペイバックされれば、それを元手にまた勝負したくなる」と言っているのと変わらない。でも、ギャンブルの必勝法は「とにかく賭ける」ことではない。賭けるタイミングを見極めることが大切だと思う。

 

失敗するのが怖くて挑戦できない人は、失敗体験を積んでいるのだと思う。何かに挑戦して、失敗体験を積んでしまったので、自信が失われ、新しいことに行動するための億劫さが増した結果、新しいことに挑戦しなくなったのだと思う。でも、挑戦しないことで、長時間かけて人生が大きく失敗してしまうことを考えると、失敗するとわかっていても挑戦せざるを得ないのかもしれない。

 

正月を過ぎて実家に返った後、生まれて初めて地元のお土産を会社の人たちに配った。チームの会議が終わったタイミングを見計らい、意を決して「お土産を・・」と言って、何人かが僕に気づいた瞬間、声が大きい人が「飲み会やりましょーー!」と言って場の支配権を奪った。しかも、一通り話し終えた後に「では解散!」と言ったせいで、チーム内の人たちはぞろぞろと帰り出してしまった。今思い出しても苦しいが、すでに何人かに気づかれた手前、僕はもう一度「お土産があるので受け取ってください」と蚊の鳴くような声で発言し、会議室の出口にお土産をおいた。その後は気が動転してあまり覚えていないが、周りの人にめちゃくちゃに話しかけまくった気がする。ただ、最後に会議室を出た時に見たお土産は、チームのメンバーが20人いる中で、4個しか取られていなかった。4人、本当にありがとう。

 

お土産は貰ってくれた方が嬉しいんだ。僕がお土産をもらえそうな時は、必ず受け取ってその場で食べるようにしよう。思い出して心がむしられる失敗体験ではなく、お土産をもらう側のマナーを学んだという成功体験として記憶に残すため、「よかった」「よかった」と呪文のように唱えるのである。