無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

今夜1人のバーで

ごくたまに1人で居酒屋に行くことがある。
あらかじめ行きたい店と日時を決めていることはほぼなくて、衝動的に行くことが多い。
タイミングは仕事がマンネリ化して刺激がなくなっている時か、髪を切ったり服を買った後で地に足がついていない時で、家の近くにあるどこかの店に寄る。

まだ2回以上行った店はなく、常連になれそうな所は見つかっていない。

 

1人で行くとたいていカウンターに案内される。
スマホを見ているとそれだけで終わってしまうので本を持ち込むようにしているが、基本的には1人でブスーっとしている。たまにスマホと本を鞄の中に入れっぱなしにしていたのに気づかず、鞄を店員に取り上げられた後に気づくことがある。店員が忙しいそうにしていると言い出せず、そんな時はただ虚空を見つめるしかなくなる。

 

場所によっては、1人で来る客は喋りたくて来ていると思われて、話しかけられることもある。その目的もあるので話しかけられるのは嬉しいのだが、案の定、そういう場所ではなかなか僕が話したいことは話せない。コミュ障の話かホモ・デウスの話がしたくても、天気か仕事か食べ物の話で終始してしまう。

 

1月7日、1人で小奇麗な居酒屋で飲んでいたら、女の人が1人で入ってきて、僕の隣の隣の席に座った。

全身にピリッとした緊張が走る。

ベタな僕は、近くに女の人がいることに緊張している。

それを俯瞰するメタな僕は、どうするべきかを考えて固まっている。

ここで僕は声をかけるべきなのだろうか?僕はどういう自分でありたいだろうか?等身大の僕ではなく、理想の僕は声をかけているのだろうか?僕はどう生きるか?

 

見た目は地蔵で内心ドキドキしている時間が無限に続き、業を煮やした店員さんが、その女性に話しかけた。

耳を凝らしてその会話を聞く僕。

正直、何の話をしているかは全く分からなかったが、声の感じから、女の人はめちゃくちゃテンションが高く、40代前半くらいのようだ。

ベタな僕はホッとする。

メタな僕はそんな僕を叱責する。

何ホッとしているんだ。声をかけなくて済んだからか?いや、声をかけてもかけなくてもいいという免罪符を得たと思ってホッとしているんじゃないか。

違うぞ。相手がいくつだろうが、声をかけた人生は違うものになっているぞ。

1日に会話できる閾値を脳内だけで越え、ポテトサラダとビール1杯で1200円の会計を済ませて帰宅した。