無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

クズのアウトソーシング

以前、クズのルーティンというブログを書いた。「ルーティン」という言葉は良い方にばかり使われ過ぎて、悪い面を無視しているという話だ。正のルーティンがあるならば、必ず負のルーティンがある。正のルーティンを繰り返すことが大いなる正の結果をもたらすのと同様に、負のルーティンを繰り返すこと(a.k.a.依存症)は、大いなる負の結果をもたらす。 何をルーティンにしたかが大事であって、ルーティン化することが全て価値がある訳ではないという当たり前の主張。

 

ikenohotori.hatenablog.com

 
アウトソーシング」について考える。「ルーティン」に続き、良い面ばかりが強調されている気がする。「アウトソーシング」という言葉の語源は、「調達する・供給する」という意味の「source」の頭に「out(外部)」がついたもので、外部委託という意味で使われている。自分の力だけで生きていくことができない天才が、生活に纏わることをアウトソーシングする、という文脈で見かけることが多い言葉だ。

 

まず「服」。まず、特に服を洗うことをアウトソーシングし、コインランドリーの利用者となった。しかし、仕事が忙しくなるにつれ行く余裕がなくなり、服の管理自体をアウトソーシングするようになった。つまり、僕の仕事用のシャツと靴下を近所のファミリーマートで管理するようになった。金銭が介在しているだけで、家のクローゼットとしてほぼ毎日使うようになった。

 

あと最近は「思考」についてもアウトソーシングするようになった。自分より早く思いつく人がいる場で、わざわざ考えようとしなくなった。考えなくても、誰かが僕が言おうとしてたことをもっと上手く言ってくれる。