無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

謙遜に飽きる

謙遜を求められることが多い。
仕事をはじめて1年半が経つが、仕事で驚いたことの一つは、謙遜を求める場面の多さだ。これまでの人生で謙遜する状況が全くなかったせいもあり、謙遜を必要とする場面で上手く対応できないでいる。例えば、今、会社で最もよく聞く冗談は以下のようなものだ。

 

 

「〇〇なら絶対大丈夫だよ」
「〇〇はXXXマスターだから」
「XXXのことなら〇〇に聞けばなんでも知っているから

「〇〇に期待してるよ」 

 

 

全部、これに対する正解は「謙遜」だ。「いやいや」と否定しつつ、「全然知らないですよー笑」と自虐で返すことを(たぶん)求められていると思う。これらの発言は、一見、単に相手を褒めているだけようにみえて、実は色んな部分が牽制されている。

 

まず、回答のパターンが牽制される。「いやいや~」からはじまる言葉しか許されない。そしてこれが結構苦しい。「私ってブスだから」に対する「そんなことないですよ」は、相手をフォローしている訳だから自分は苦しくない。だけど、「すごい」って言われて「いや全然しょぼいよ」って返すのは、自分を傷つけているから体に悪い。

 

次に、責任逃れが牽制される。上記の発言はだいたい何かのお願いとセットで発せられる。「YYYをお願い」→「あなたならできるでしょ」のパターンが多い。最近気づいたが、後の文「褒め」をつけることでこっちの責任が一気に重くなる。「期待してる」と言われてうまく出来なければ、<期待に応えられなかった>ことになってしまう。(実際に期待されていなくても。)そして、わからん!となった時に「頼る」という選択肢が、上の発言をされることで封じられてしまう。

 

 

思い返すと、やはり会社の上のが「褒め」をよく使っている。褒めることにメリットしかないことを重々承知しているからだろう。僕の上司もよく使っているのだが、僕に「〇〇マスター」と言っておいて、上司の方がだいたい詳しい。

 

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僕は最近、謙遜に猛烈に飽きてきたので、褒められると「まあーー、そうですねー」と曖昧に返している。(本当は俺がNo1俺がオンリーワン俺が無敵俺が...

なんて答えればよいのか。
謙遜はいや、保険はかけたくないという思いが強い。

 


zeebra Street Dreams

 

 HIPHOP

残業話に先はない

仕事のチームに新しい人が入ってくることがある。

 

新しい人が入るタイミングがいつも急なのは、普段から人月商売をしているくせに、一番のメリットであるはずの人の数が合っていないからだ。「3人でやる仕事です」と宣言してお客様から了承を得たにもかかわらず、最初から1人しかいないみたいな事が多くてうんざりする。神話にすらならない。

 

新しい人と話すことといえば、鉄板は住んでいる地区の話。みんなが持っている情報だし、少しは興味がある。それに、たとえ住んでいる地区が本当にどうでもよいところであったとしても、駅まで何分とか、なんの電車に乗ってるかという話題で話をつなぐことができるので、会話下手にはありがたい。趣味とかだと、自由度が高すぎて対応できない可能性があるので、こちらから質問したことは一度もない。カウンターで質問を返されたくないからというのもあるけど。

 

話題が仕事の話になることもある。お仕事系の話は、自分の知らない有益なことを知れるかつ興味もあるので楽しい。ただ注意しなきゃならないのは、相手が知らないことに対して、馬鹿にした素振りを一瞬でも見せたならば、末代まで恨まれることだ。エンジニアに限らず、専門分野を話すときは繊細になることを心がけたい。あと、お仕事の話で気をつけたいのが、残業の話をすることだ。それまで技術の話で盛り上がっていても、話しやすいから・共感を得やすいから・なにか話さなきゃという理由でつい残業の話をすることがある。

 

このプロジェクトは残業が多いですよー
これから残業ばかりになると思いますー
月何時間残業したことありますかー?

 

決して話は盛り上がらない訳ではない。でも、残業したい人はいないのだし、絶対に割れない話し合いは、雑談レベルであってもあまり面白くない。残業話からなにか新しい情報が出てきたり、面白い意見が得られることはほとんどない。あったとしても、それを求められていない気がする。そして何より問題なのは、一度会話の偏差値が下がると、なかなか上がりにくいことだ。社畜の話から専門的な話に戻しただけで「真面目か」という雰囲気になってしまう。逆はすぐできるのに。

 

 

基本情報処理試験の受験票を忘れた日

一昨日だけど。

 

10月15日(日)

勉強会をサボり、ブログをサボり、元々ない予定を頑なに守り通して臨んだ基本情報試験。その結果がこれ。未受験オチ。受験費用と昇給の機会を失い、喪失感を獲得したのでした。

 

入社以降、ろくに努力していない自分の総決算のような結末だと思う。ひたすら怠惰な生活を送ってきた成れの果て。電気代を払い忘れて電気が止まり、通信料を払わずにネットが止まり、奨学金を払ってなくて親に電話がかかってくる。生活上やるべきことをほとんどやらずに、その場しのぎで生きてきたからそうなるか。

 

前日の夜に、確実に鞄に入れたはずだった。それなのに会場の最寄駅で確認すると、見事になくなっている。

 

1回目。カバンをゴソゴソ。ない。

2回目。問題集とノートを取り出して、間に挟まってないか。ない。

3回目。鞄の中の物を全部出して見る。ない。

 

駅to駅。何もすることなく、朝8:00にUターン。家の近くの丸亀製麺で朝食をしっかりと取り、本を6千円分購入して帰宅した。家に帰り、言い訳をfixするために、受験票を探す。今更見つかった所で間に合わないが、「仕方なかった」ということにしておきたい。

 

家中を探した結果、風呂場の脱衣所で見つかる。朝起きてシャワー浴びた時、鞄から取り出した本に貼り付いていたよう。

ああ。もっと必死に勉強していたら忘れなかっただろうな。前日もちゃんと寝て、受験票も当日に朝に確認して、万全の体制で臨めたはず。

考えるのはこれからの人生のこと。

何か良いことがあるか?

 

 

完璧になりたい。仕事も生活も全て。

時間を守り、忘れ物はせず、何事にも万全の準備をして臨む人に。

そう決意し、4ヶ月ぶりに家の掃除をした後、寝た。

 

常識が違う恐怖

鼻が詰まる。大掃除をしてからというもの、一日中家の中でほこりが舞っているので、持ち前の鼻炎の勢いが止まらない。窓を開けるとすぐ前が歩道橋なので、カーテンは年中閉めっぱなしだ。おかげで鼻孔も心も閉じきっている。始業前の会社は静かすぎて、鼻をかむ事ができない。仕方がないので、口呼吸でしのぎつつスマホを見ていると、いつの間にか息をすることを忘れ、窒息しそうになる。「存分に太陽をに吸い込んだバスタオルで思いきり鼻をかむこと」が叶えたい夢トップ10入りするほどには追い詰められている。

 

常識が違う。「鼻をかむ」ことが、人前で堂々とする行為だとは思われていないのが、非常に辛い。鼻炎持ちは少数派でも何でもないのだが、鼻炎ではない人が常識の基準となっている気がする。

 

僕が思う鼻炎に関する常識はこんな感じだ

 

【常識内】

鼻をすする、ティッシュで鼻を拭く、ハンカチで鼻水を抑える、ティッシュで鼻をかむ(音量小)

 

【常識外】
ティッシュで鼻をかむ(音量大)、ハンカチで鼻をかむ、ティッシュを鼻に詰める

 

だが、ティッシュを鼻に詰めている人はたまに存在していて、場所に関わらず平然とやっていたりする。僕だってやりたい位なので不潔とは思わないが、「おいおいそれセーフか!?」とそわそわする。「常識を知らない人」という言葉は何なのだろうか。文頭に「私が思う」をつけてほしい。こっちの常識は違う。

 

女性は男性より嗅覚が優れていると聞いたことがある。やめてくれ。自分で確認しようがないから。ただでさえ自分の匂いは分からないと言われているのに。そうでなくても私は鼻炎であるのに。

 

ファミレス譚

週に3日はファミレスに行く。大学院生が勉強する場所となると家か図書館か研究室かファミレスくらいしかないが、この内パソコンが使えて、なおかつ快適なネット環境がないという条件をみたすのは、ファミレスだけなのだ。 ファミレスに入るとき必ず聞かれるのは、「何名様ですか?」と「喫煙席ですか、禁煙席ですか?」の2つである。最初の質問には、無言で真ん中の方の指を一本突き立てればいいとして、後の質問にどう答えるかは毎回非常に悩む。タバコは吸わないので、普通なら迷わず禁煙を選ぶところだろうが、様々なファミレスに通い慣れている僕は、禁煙席がいかにうるさく、しかもどれほど混んでいるかを知っている。そのため、たいていは喫煙席を選択するのだが、ごくまれに喫煙席の方が五月蝿くて混んでいるという状況があり、その場合、端的に損をする。あと最近は喫煙席であってもタバコを吸う人の割合が半々だったりするが、たまに席にいる全員がタバコを吸うというガチな喫煙席だという状況がある。この場合も集中はあまりできずに、ただただ肺がんのリスクを高めて帰ることになる。

 

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困ることは他にもある。例えば「ピンポン」を押すタイミング。混雑時は店員さんが忙しいので、なかなか来てくれないことが多い。だが、あれを何度も押すのは恥ずかしい。「僕にかまって!!」と言っているような気がするからだ。そこは余裕のある24歳学生として、一回押したら10分くらいは泰然と待っていたい。その間に店員さんがやって来て「すみません」と謝っても、気にしないどころかむしろ忘れてたくらいの空気を発せれる人でありたい。 とはいえ最も良いのはやはり一回で決めることだ。一回で気付かれないのは、「存在感のなさ」の点ですでにマイナスである。その後でいくら気にしない仕草をしていても、結局負け戦であることに変わりはない。できることなら一発で決めたい。そう思って僕はいつもベストなタイミングで押すようにしている。入ってくる客はいないか、1分以内に誰もピンポンを押していないか、今から押そうとする客はいないか、フリーの店員さんはいるかなど、あらゆる状況を考慮して、ピンポンを押す。

 

昨日もそうだった。奥のテーブルを確認しに行った店員が、帰ってくる時に僕の近くを通りかかった。ここしかないと思った僕は、全てを賭けてピンポンを押す。「ピーンポーン」の音が鳴って、店員が立ち止まる。しかし、誰が押したかまだわかっていない。まあ、すぐに確認してこっちに来るだろう。だがその時、僕の真横の席にいた数人の客が、「すいません注文なんだけど」と店員にダイレクトに声をかけた。「はいただいま」と僕を無視して注文を聞きに行く店員。その横で固まる僕。店員は僕が押したことを多分気づいてないからよいが、横の人々は確実に知っているはずだ。そう思うと急に恥ずかしくなってくる。メニュー表をじーっと見る作戦でなんとか乗り切る。注文を取り終え、店員はそのまま去っていった。取り残される僕。 その後何分経ったか忘れたが、横の席の人たちがドリンクバーに席を立った時を見計らい、僕は二回目のピンポンを押した。内気らしい最後といえる。

 

2015.5.27に書いた記事を一部修正したもの

内気が、ただ内気だけが。

内気はなぜ喋らないのか。岡田斗司夫さんがこんなことを言っていた。

 

「口下手な人を見ていると、頭のなかで話を構築してから話す人が多い。Aでもない、Bでもない、Cでもない、と自問自答してから口に出す。だから時間がかかったり、話が壮大になってまとまらなくなってしまう。対処法は簡単だ。頭に浮かんだことをそのままA、B、Cと全部順番に喋っていけば良い。」

 

理屈はわかっていても、俺はこの考えにすごく抵抗がある。思いつくままに話すということは、いかに自分がつまらないかをアピールすることだからだ。いい加減な事をベラベラ喋るほど、相手の中の「つまらん奴ゾーン」「センスなしゾーン」に入れられていくような気がする。もちろん話すことが全て面白い必要はない。しかし、10回に10回つまらないのには耐えられない。喋る人間は常にこの確率と戦わねばならない。これに反して、喋らない人間は話が面白くないとは言われない。人間として面白くないと言われるだけだ(神回避)。

 

つまらない話をするのも嫌だが聞くのも嫌だ。順序は逆か。つまらない話を聞くのが嫌だから、しないように気を遣うあまり何も話せなくなるのか。嵐の松潤ホンマでっかTVに出ていた時、あなたは「話し始めてから考えるタイプ」と言われていて驚く。そんなタイプが存在するのか。やめてくれよ・・。 そもそも面白い面白くないをセンス的なものだと思っていないことに原因があるのかもしれない。よく考えるのだけど、「痛いコピペ」は、書いた人が面白いのか、それとも見つけた人が面白いのか。僕はやっぱり書いた人だと思う。読む人はそれをただ笑っただけであり、先に変なこと(面白いこと)を書いたっていうのがある。それを人によってどう捉えたかってだけの話でしょう。※未 こういう考えだからどんどん無口が深まっていく。

 

話は変わるが、今の時代、口下手のメリットってあるのだろうか。言葉で伝えたり、言葉で説明するのが苦手な人間に向いていることってあるのだろうか・・・。 あるのかと言いつつ、多分ないだろうなと思っている。内気人間はアピールが下手だし、経験も同年代より少ない。相手に好かれることが難しいので人と関わる仕事は大変だ。 唯一の希望の光っぽく見える芸術分野にしても、飛び抜けた実力があるわけでないのなら、自分の作品を解説しなきゃいけない。説明する必要がある。別に向いてない。あとはスポーツ選手くらいか。でも引退後のことを考えると口は達者に越したことはないだろう。

 

 

■対抗策を考えてみた。内気で口下手が、自分がどういう人間かを伝える方法。

 

twitterを公開する 

内気な性格でも、結局それを見せなくちゃ伝わらない。 会話して距離を縮められない分、twitterで自分を知ってもらう。 ※twitterやってると公言できない場合は、LINEやメルアドと連携させといてこっそり見させれば良い。

 

感情をのせる 

感情が高まれば、「あー」でも「うー」でも自然と言葉は出る。 また、同じ言葉がでも感情の有無で重みが変わってくるので、つまらない話でも聞き応えをもたせることができる。そのために、普段から感情を高ぶらせておく。

 

エロキャラ 

エロなら言葉は使わなくてもいい。不埒なら態度で示そうよ。 セクハラをやり続ければ、すぐに内気な人と思われなくなくなるだろう。 この辺りにわずかな可能性を感じている。

 

 

僕のおじいちゃんの世代(70~80)や父親の世代(50~60)は男に多弁を期待されてはいなかっただろう。しかし、だんだん求められる時代になっていった。僕(22)の世代が、男は黙ってDNAが残っている最後の世代かもしれない(もはや残ってないかもしれない)。無縁社会から生まれた子は共同体を自ら作ることを覚える。これから無口な男は減っていくだろうか。時代に踏み潰されて死んでいきましょうね。

 

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実はコミュ力の塊みたいなとこある

 

2013.11.16に書いた記事を一部修正したもの