無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

小林由依=ごまドレ説

 ごまドレッシングが大好きという話から始める。僕は子供の頃から野菜全般が苦手で食べられなかったのだが、「ごまドレ」を知って以降、あらゆる野菜が食べられるようになった。むしろ、ごまドレをかけたいがために、自ら野菜を買うことも多い。

 

ごまドレが出る前も、ドレッシングは山のようにあった。だが、それらのドレッシングを使用しても、僕は野菜を食べることはできなかった。今ならその理由がわかる。ごまドレ以外のドレッシングは所詮、「野菜を好きな人」が作ったものだ(と思う)。元々野菜が好きな人が、より美味しく飽きずに食べることを目的に作っている。だから野菜の味を引き立てるし、野菜の種類によって合うドレッシングは異なる。

 

それに対し、ごまドレに合う野菜はない。ごまドレは野菜の味を完全に打ち消してしまうので、合うも合わぬもない。口の中に残るのいつまでたってもごまドレであり、野菜はもはや食感しか残らない。どの野菜にかけるかは、ごまドレにとってほとんど問題にならない。かける対象が何であろうが、文字通り自分の味に変えてしまうからだ。つまり、ある意味では、ごまドレはすべての野菜(というか食べ物)に合う。野菜にかけるドレッシングでありながら、実は野菜と関係がないからこそ、野菜が嫌いな人が愛好するのだろう。ごまドレ好きは決して野菜を好きになったわけではない。

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「誰と一緒でもいい」

 

というのは、欅坂46小林由依の言葉である。『欅って書けない』という番組のコーナーで、「自分ヒストリー」というものがあり、そこでのやりとりが今も心に染み付いている。小林由依というぼっちキャラ(自分で言ってる)の自己紹介での一幕。

 

小林 中学生になっても一人が好きなのは変わらなくて、中学3年生の修学旅行のグループ決めのときに、余ったグループに入りました。そのように言うと、なんか寂しい子なんじゃないかなと思われがちなんですけど、余ったグループに入ったりする理由は・・・

 

 

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澤部 寂しいですね 結局。
土田 起死回生のフリップが出るのかなと思ったら
澤部 結局寂しいですね。

 

小林 誰かと一緒じゃなきゃやだとか、誰がいるからこのグループは嫌だとかがあんまりなくて。

 

この言葉が「寂しい」と受け取られるのは、他人に対して興味が薄く、かつ、愛情を受けていないように見えるからだろうか。しかし、小林がフリップを出したタイミングを考えれば、寂しいと思っていないことがわかる。この場合での「誰と一緒でもいい」は、「誰といようが自分は変わらないので、誰と一緒でも関係ない」って事なんじゃないだろうか。

 

ここ最近、小林由依の人気が上昇していて、「ゆいぽんセンター待望論」まであったのは、この性格と無関係ではないと思う。どんな場所で誰といても関係なく、いつでも同じスタンスだったからこそ、じわじわとリピーターが増えていった印象がある。

「誰と一緒でもいい」ことは、「誰にでも合わせられること」ではない。その時々で出会った相手の良さをうまく引き出す名司会者なのではなく、相手が誰だろうが自分はそのままでいるということ。つまり、小林由依はごまドレなのである。