無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

『勝手に選別される世界』

 

2016年ベスト本。

 

勝手に選別される世界――ネットの「評判」がリアルを支配するとき、あなたの人生はどう変わるのか

勝手に選別される世界――ネットの「評判」がリアルを支配するとき、あなたの人生はどう変わるのか

 

 

 

評判(reputation)によってすべてが決まる未来。そこでは銀行がいくら貸してくれるか、大家が部屋を貸してくれるか、会社が雇用するか、デートの相手が誰になるかに至るまで、評判によってすべてが決まる。この世界で生き残る方法はただ一つ、良い評判を稼ぐこと。この本は、なぜ評判が世界を支配するのか、その未来では何が起こるのかについて詳述し、その世界で私たちがどう生きていけばよいのかを教えてくれる。

 

以降、3つのセクションに分けて簡単に要約する。

 

【① 背景:なぜ評判によって決まる世界が到来するのか?】

 

2章 すべてが保管される

評判世界の訪れは、2016年流行りの「ビッグデータ」と大きく関係している。膨大な量のデータを保管できるようになったことは、そのデータを解析する「ビッグアナリシス」を可能にする。評判世界は、ビッグアナリシスによってすべてが決められる世界のことだ。

 

大量のデータが保管されるようになったのには、主に2つの要因がある。

1. 記憶量の増加
1997年初めて太陽系の外に出たボイジャー1号の記憶量が68KBであったのに対し、iphone5Sの記憶量はその100万倍の64GBである。

 

2.  保管≫削除
1000ドルを使って削除できるデータが僅か80万バイトであるのに対し、追加の記憶装置を買うならば、同じ値段で100テラバイトのデータが手に入る。データを削除するよりも新たに容量を買った方が圧倒的に安い。これによって、データを「削除する」という考え自体が消えつつある。

 

この2つの要因により、膨大なデータが永久に保管される。出合系サイトのプロフィール、映画のレビュー、twitterでの悪口、たまたま店員を怒鳴った時に撮られた写真、ホテルで文句を言ったことに対する従業員の書き込み。これらは本人が死んでも残り続ける。更に、今後これらはリンクするようになっていく。ネットに撒かれた画像は顔認証ツールによってフェイスブックのプロフィールと結びつけられる。アメリカにはそれを得意とする「スポキオ」という会社がかつて存在していたらしい。

 

 

【② 現象:評判世界では何が起こるのか?】

 

4章 すべてが機械化される
DAMM(Decisions Almost Made by Machine, ほぼ完全にマシンに下される判断)によってあらゆる物事が決められる。一番分かりやすいのは雇用だ。大企業に数多く送られてくる応募の中から、最低限の資格(「university」「職歴」)が含まれているかどうか検索され、次のステップに行けるかどうかふるい分けされる。

 

6章 すべてが定量化される
これまで大学は市場(雇用者)に対して2つの役割を担ってきた。1つは「教育」としての役割。雇用者は、大学を卒業した人は一般的な批判的思考力から特定の技術的知識までを含むスキルを身につけているだろう、と一応期待する。もう1つは「シグナル伝達」としての役割。他に何の情報もない場合、雇用者は、ほぼあらゆる仕事に対して、平凡な大学を出た人よりも一流大学を出た人の方がよい仕事をする可能性が高いとみなす。

 

だが、この2つの役割は将来的に不要になる。まず「教育」の方は、同価値をもつオンライン教育が浸透しつつある。さらに「シグナル伝達」の役割(肩書としての役割)も、オンラインテスト等の新たな分析手法によって本人の技能を正確に測ることができれば、完全に不要になる。○○大学という肩書は価値を失い、〈この会社のこの特定の仕事で手腕を発揮できるかどうか?〉という点が判断されるようになる。

 

8章 すべてが互換性をもつ
NBAのスター、レブロン・ジェームズは良いベビーシッターになるか?」この問いに答える方法はこれまでなかった。評判世界では、評判が互換性をもつようになる。ある分野で技能をもつことは、他の分野での技能を発揮する証拠として機能する。評判を集めるエンジンは、その人にまつわる複数の領域を横断してスコアを集積し、スナップショットを提供してくれる。

 

9章 すべてが脱文脈化される
評判世界の恐ろしい所は、一度悪い評判がつくと、それが一生つきまとう所だ。自らに悪い評判がつくことに対し、身を守るすべはない。重要なことは、常に警戒を怠らず、迅速に対応し、被害を最小限に留めることだ。

 

 

【③ 対策:評判世界をどう生き抜くか?】

 

10章 すべてが先手必勝になる
2013年、フェイスブックは膨大なデータを処理するためのデータセンターをオレゴン州に設立しようとした。しかしながら、オレゴン州は環境運動のメッカであり、そこに大量の電力を消費するデータセンターを建てれば猛反発をくらうこが予想された。そこで、建設中、フェイスブックはその議論が生じる前に、議論の枠づけを行うことにした。施設の電力使用量は取り上げず、電力使用の効率性(どれだけ無駄なく使用しているか)をアピールし、むしろエコロジーであると印象づけることに成功した。大事なのは、議論が起こる前に、議論のテーマを自分に有利なようにコントロールすることだ

 

まとめ レピュテーション経済で生き残るルール
・パイオニアになる
・常に先回りをする。
・自分にしかできないことをする。

 

 

【感想】

人と会うたびに相手が自分のことを評価しているような気がして、すごく息苦しくなっていた時期に見つけた本。章のタイトルをざっと見て「これや!」と思い、即借りた。

ただ、内容は僕が感じていたものとは違って、評価・評判主義を批判した本ではなく、評価主義に否が応でも向かっていく未来を予言した本だった。評判世界では、評判・評価から逃れるこれはできない。なぜなら、評判を発信するのは人だけではなく、twitterのフォロワー数やクレジットカードの残高だったりするからだ。評価されるのが嫌で引きこもったところで評価は下される。そう思うと、どうしようもなくなって少し諦めがついた。

 

僕が評価・評判を嫌いな理由は、評価を得るために必ず競争が起こるからだ。オリンピックのように明らかな競争はともかく、いかにも競争じゃないふりして実は内心で競争している状況が大嫌いだ。勝つのも嫌だが、負けて傷つく自分を知るのも嫌だ。

この本を読んで目からうろこだったのは、評判世界は通常の競争社会を導かないことだ。すべてが「定量化され」「ランク付けされ」ることによって起こるのは、1位以外が価値をもたない世界だ。「世界一」だけが勝者の世の中は、競争社会と呼んでいいのか迷う。(有り体にいえば「超競争社会」となるのだと思う。)

だからこそ、とこの本は言う。世界一しか価値をもたないなら、世界一になればいい。幸いなことに、これからの社会は世界一を見つけてくれる。ヨーヨーが世界一上手い人、世界で最も優れたピエロ、そして、世界一の「ヨーヨーができるピエロ」も、評価世界は見つけ出してくれる。自分にしかできないことをすればいい。

 

 

大丈夫だよ

「言葉にしなきゃ伝わらない」というのは何が発祥の言葉なんだろうか。検索してみても、そのものズバリのワードは引っかからない。ただ、関連ワードに「歌詞」と出てきたので、有名な曲の1フレーズなのかもしれないと思って調べてみる。探求の結果、以下の曲がヒットした。

 

『embrace』/BUMP OF CHICKEN
『伝えたいこと』/阿部真央
『Ray』/Kotoba no Chikara
『キミに贈る歌』/菅原紗由理
『Real me』/浜崎あゆみ

 

著名なミュージシャンの曲もあるけれど、どれも大ヒット曲という訳ではなく、言葉の発信源ではなさそう。すでにこれらの曲が出た頃には、「言葉にしなきゃ伝わらない」は共感を得られる1フレーズとして定着していたのではないかと思う。


出元がわからない名言はこわい。特定の時間に特定の人(人たち)が意図的に流行らそうとして生み出した可能性を感じる。コミュニケーション力不足を嘆くことで金を稼ぐ勢力が、自分たちのビジネスに引き寄せるために流行らせた煽り文句のひとつのような気もしてくる。「暗く」「口下手」なイメージがあるだけで何とも呼ばれていなかった人たちを「コミュ障」と名付けておいて、セミナーを開き啓発書を売りつけて「治る」のだと訴える。いや、それまで問題とも思ってなかったんだけど...。
前日に自分が重ねた雪を翌日に自分で雪かきして儲けていたこち亀の話を思い出す。

 

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嫌いな名言は、ひっくり返して微修正すれば、好きになることが多い。「自分が変われば相手も変わる」という名言は嫌いだが、「自分が変わっても相手は変わらない」という言葉は好き。「考えるな、感じろ。」という名言は嫌いだが、「感じるな、考えろ。」という言葉は好き。「サクサク」という擬音は嫌いだが、「ヌルヌル」という言葉は好き。

 

「言葉にしなきゃ伝わらない」よりも「言葉にせずに伝えたい。」
日々生きていて、言葉にするまでもない事がたくさんある。初対面で挨拶も交わしたことのない相手に対して、言葉をかけるハードルは異様に高い。ハプニング系(「スマホ落としましたよ」)とか、感謝・謝罪系(「すみません」)とか、人によるけどナンパ系とか、何種類かの状況のパターンと定型文があり、それ以外で話すことは禁じられている気がする。そのため、言葉にせずに伝えなければ行けない状況は頻発している。

 

毎日、電車に乗って通勤している。僕が乗る駅では、車内は割と混んでいるので、出口のドア付近に立っていることが多い。次の駅が乗り換えの激しいターミナル駅なのだが、到着のアナウンスが流れると、皆すこしずつ出口につめ出す。僕はこれでもかというくらい出口すれすれに立っているにもかかわらず、3日に1度はギューと扉に押しつけられる。まだ着いてもいないのに。彼らに伝えたい。「大丈夫だよ、僕も降りるから」と。もっと言えば、もし次で降りないならば出口付近に立つようなことはしない人間であることを伝えたい。
なんとか伝える方法はないものか。アナウンスが流れた後、路線図を確認していかにも降りる雰囲気を出しているのだが、彼らには絶対に届いていないと思う。

 

よく行くコンビニのレジもそうだ。「袋はいりません」と言うと、レジの精算の時間とこちらのお金を出す時間が狂ってしまい、いつも圧倒的にレジが早く終ってしまう。確かに袋はいらないと言ったけれど、それは袋を入れる時間も惜しむほど急いでいるわけではなくて、単にすぐに食べるからいらないだけなんですよ、と伝えたい。そんなに急がなくて大丈夫。商品を鞄の中に入れて、財布を出して、しかもSuicaで払わないから。いつも400円くらいしかいつもチャージしてないから。後ろの人から圧を感じるので、むしろテキパキ精算しないでくれと伝える方法はないものか。大丈夫だよ。大丈夫なんだよ。

 

客先常駐3週間で感じたこと

客先常駐とは、文字通り取引先にずっといる(常駐する)勤務形態のことだ。僕は、6月から客先常駐として働いている。客先常駐については、すでに色んなことが書かれている。説明は以下の記事が詳しい。

 

jochu-carrierup.net

 

僕はまだ3週間しか経っていないが、すでに不満や問題点が溜まってきたのでここに吐き出す。正直、どこからが業界的な問題で、どこからが僕個人の問題なのか曖昧だ。もしかすると全部僕だけにしか当てはまらない可能性もあるけど、多めに見て欲しい。

 

どこまでいっても味方ではない

 客先に行くと、自分たちは協力会社という身分になる。一般的に、協力会社は複数いる場合が多い。よって、1つのチームは、客先社員、協力会社A社員、協力会社B社員みたいな形態をとる。それぞれがベテラン&新人のセットで複数人いることも多い。当然、1人があらゆることを知っているわけではなく、役割がきちんと分かれている。そのため、同じチームのメンバーに質問&相談する状況が多々あるのだが、このとき、相手が他社の人だと圧倒的に話しかけづらい。本当に聞かなければならない内容か、相手の仕事を遅らせてまで聞くことなのかと一々吟味しないと聞けないため、個人の進捗がすごく遅れる。また、質問した後でも、相手が「なんで何のメリットもないこいつに教えなきゃならないんだ」と思われていたらどうしようと不安になり、完全に理解していなくても早々に切り上げてしまう。考え過ぎかもしれないが、少なくともウェルカムで教えてくれる状況ではない。結果的に、自分の仕事もすごく非効率だろうし、成長も期待できない。

 

コミュニケーションに関していえば、自チームの人間でもギクシャクしているのだから、他チームかつ他社の人間となれば尚更だ。話しかけるきっかけもなく、目の前にいるのに一切接触がない。相手にとって有益な情報でもなければとても話しかけられない。周りの人のほとんどが名前しか知らず、一言も喋ったことがない。今まで知らなかったが、一日中よく知らない他人に囲まれているのは居心地が悪い。この間、女性社員がお菓子を配りに来ていて、自分はどうなるのかとビクビクしていたら、一つ手前で止まった。素直に傷つく。一概に言えないけれど、同じ会社の人間であれば、知り合いになっておこうという気持ちが少しは芽生えるのではないか。会社が違うので、どこかで「関係ない」と思ってしまっている。これのメリットってあるのだろうか。 

 

見れない情報が多すぎる 

客先社員と協力会社社員の間の情報格差がひどい。パソコンは客先社員の権限のものを使え、自分のノートは持ち込み不可、会社のものは全て持ち出し禁止。仕事の情報は、自分と関係があるものしか見ることができない。そのくせ、「関係がある」範囲が曖昧なので、自分が見れない情報に頼らねばならないことも多い。その場合、客先か他社の人間に協力してもらわねばならないが、そうなると1段落目の問題に直面する。単純に作業が遅れるという時間的な問題もあるが、自分が何をやっているのかわからずに作業をするのはストレスが溜まる。相対的に周りと比較したり、全体からみた自分の位置を把握することで、次にやるべき行動が見つかって主体的に動けるのだと思うが、そのためのルートが閉ざされている。「新人だからしょうがない」と言われるかもしれないが、全体の状況と自分の力量が分かっていてヒヨコになるのと、何も知らないのでヒヨコにならざるを得ないのとでは全然違う。ゴールが分からいので1つの仕事が終わっても達成感がなく、ただ闇の中をもがいている感じだ。(あと、地味にID/パスワードを一日に何度も入力しなければならないのがストレス。電源を切るたびにリセットされてんじゃねえ。頑張れ。) 

 

 目標が見つからない  

実際に一番苦しいのはこの問題だ。上の2つの問題は辛いとはいえ、自分の行動次第では改善していけるものかもしれない(ただ、やらないで済むならやらない方がいい。)だが、この問題は努力でどうにかなるものではない。働く目標は何種類かに分けることができると思う。「出世(認められたい)系」「スキルアップ系」「良いものを作りたい系」など。客先常駐だと、これらすべてが見出しづらい。

 

まず、「出世系」は、働く場所の問題で難しい。基本的に評価する人は自社にいることが多いだろうから、その人にアピールをすることはできない。もちろん、仕事を頑張って間接的にアピールすることはできるけど、出世のために頑張るのは難しそうだ。仕事を頑張ることくらいしかないので、「上に行くために..」みたいな目標はなかなか結びつかない。それに比べて「スキルアップ系」は少しはマシかもしれない。だが、上で述べた2つの問題が壁になるので、スキルアップできる環境を自ら作るらなければならないだろう。「良いものを作る」ことについてだが、そもそも自分が作っているという実感がない。また、今はともかく、永久に創造的な仕事ができない(ように思える)のがつらい。言いたいことを言える場がほしい。

 

まとめると、客先常駐は目標が立てづらく、目標が立たなければ、仕事のモチベーションは上がりづらい。 

 

 

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「打たれて強くなる」という言葉がある。今の勤務先に決まったとき、部長から言われた言葉だ。厳しい環境の方が辛いことは多いけれど、その方が人は成長できるという。しかし、この言葉は「人は鉄である」ということが前提となっている。だが周知のように、人は鉄ではない。

 

やたら愚痴ばかり書いてしまったが、どうせならこれらの問題を解決したい。自分の問題としても、業界の問題としても。今は何も思いつかないけれど、問題を頭の片隅においておこうと思う。

 

僕が通っていた大学の教授

 

※大学院に通っていた頃(約1年前)に書いたものです。

 

僕が通っている大学の教授(40代、男、ドイツ観念論が専門)が、今度結婚するらしい。僕は前期に授業を1つ取っていたくらいで、その教授と特に親しいわけではなかったため、これといって感慨はない。だが、出合いの話などを人づてに聞く機会があり、その中で色々と思うことがあったので書きしるす。聞いた話によると、相手の女性とは”行きつけのバー”で出会ったという。女性が一人で飲んでいるのを見て、声をかけたのが最初のきっかけだそうだ。その教授曰く、「豪快な飲みっぷりがよかった」とのこと。そこからどう親しくなったのかは知らないが、まあ付き合って、そしてこの度めでたく結婚するということだ。

 

 

僕には現実味がなさすぎてFuckとも思えない。バーで声をかけるという行為を、僕は一生できないと思う。なぜなら、一人でバーに来る & 豪快に飲む女性って、自分の芯がかなりしっかりしている人だと思うから。今の僕が話しかけたら、まず劣等感で憤死する可能性が高い。いや、今じゃなくても、今後、仮に年収が数千万あったとしても、無理なんじゃないか。さらに言えば、いつか人よりも比較的高い収入を手にしたとして、それによって身についた自信で高圧的に話しかけたとしても、あまり好かれないように思われる。だが高圧的な態度が嫌われるとしたら、対等であればいいんだろうか?でも対等な収入っていくら位なんだろう。それがピッタリ吊り合っていない限り、傲慢or卑屈のジレンマに陥ってしまう。

 

 

だが!もしかすると、人と比較して上下(うえした)ではなく、自分の内から作られた自信を持った人と対等な付き合いがしたいのかもしれない。この内からの自信というものを身につけるためには、まず自分を確立していなきゃいけないのだが、これが非常に難しい。そしてさらに難しいのが、そのようにして確立された我(われ)が、「バーで人に話しかけるような人間である」という条件をクリアしていることだ。自分を確立している上で堂々と話しかけるのだから、その行動がある程度その人のポリシーと合致している必要があるのだ。

 

 

つまり、満たさねばならない条件は、不動の我の確立し、その我が見知らぬ人に話しかけるような人間であることだ。ちなみに僕はいずれも今のところ厳しい。「自信がないことに自信がある」という現状を抜けださないかぎり、内から湧き上がる自信は身につかなそうだ。

 

 

あと他にも僕が話しかけれない理由は山程あるが、中でも(人見知りを除いて)決定的なのは「たぶん話が合わないだろう」ということだ。僕が普段話すことは、いかに自分が苦しいかという話か、自意識過剰な話、あと哲学の話、くらいしかない。だが、バーに来る女性は、その時点で自意識がバカになっているようにみえる。「~な人ってどう思います?」から導入された話は、まったくハマらないと言い切っていい。僕の話がつまらんというのを脇に置くとしても、些細な会話すら価値観が合わない可能性が非常に高い。もちろん、話が合わなくてもOKだという人もいるだろうが、僕は盛り上がらない状況に耐える心臓は持ち合わせていない。アーイ。

 

 

※後記:教授の話はどこに行ったのか。

 

止まるな

 

深夜なので日記をかく。


最近はまたしても自意識について考えることが多い。人見知り、口下手、自意識過剰の原因については様々な説があるけれど、「自分がどう見られるか?ということに脳のリソースを割きすぎて、相手の話に集中できない」という説明が一番納得がいく。

 

図書館など行くと、自意識のネジがゆるい人が多い。
口を塞がず大声でくしゃみをする人、おならをする人、他の席も空いているのに隣に座ってくる人、100%目が合うとわかっていてこっちを見てくる人、確実に今は埋まっていると分かっていてトイレに来る人。


単純に迷惑だし個人的に不快だというのもあるけど、それ以上に、彼らが人生において得をしていることに腹が立つ。目の前のことに集中しているので生産性が高く、かつ堂々としてるので好かれてきたかもしれない。ふざけるなと言いたい。

 

とはいえ内気も前進すべきだ。内気でない人間が、自分の性向がたまたまそうだったというだけで伸び伸びと生きているのは癪だ。面白さ的、社会的、金銭的に負けるのは気に食わない。大丈夫、人生の刺激度合いではこっちが確実に勝っている。挨拶に一言添えるだけで心臓がバクバクなんだぞこっちは。

 

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小エッセイズ

×海を見ながら

最近、会社近くの某海浜公園で昼ごはんを食べている。隣の先輩とずっと一緒にいるのが気まずいので、昼休みに辺りをプラプラしていたら辿り着いた。今は備え付けのベンチでコンビニのパスタを食べているが、いずれはここにブルーシートをひいて、海を見ながらサンドイッチを食べたい。毎日の楽しみとして。

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×本

毎日の楽しみ。通勤帰りに必ず本屋に寄ること。研究者をやめて、1冊あたりの本代がすごく安くなったことに驚く。4冊買って5000円を越えない衝撃。専門書なら1冊の値段だ。社会人になって、時間と濃厚な本の代わりにお金を得ていると感じる。全部は手に入らないか。

 

×引っ越したい

全部は手に入らない。同期との競争を勝ち抜いて今いる部署に決まったが、想像よりやる気のない部署だった。隣の芝生が青く見える。しかも、3月に今の家に引っ越して、会社まで徒歩で通えていたのだが、今月から通勤1時間半の所に配属になった。塞翁が馬。良い結果かどうかは最後までわからない。今の仕事はテンション上がらないけど、結果的に良かったと思えたら満足。(過去の思い出を美化とかではなくて。)