一番つまらないことを言ってしまう
「面白いことがあったんだけど」という枕言葉が禁止されて久しい。僕が最初に耳にしたのは、ホンマでっかTVのさんまだった気がする。あれから10年。いつも間にか使っている私。全然言いたくないし、そもそも面白い話だと思っていないのに、気がつくと頭に付けていることがある。この話し出しをすると、何かしらのオチがないと終わらなくなってしまうこともわかっているのに。
頭の中で浮かんだ選択肢のうち、一番つまらないことを言ってしまうという最悪の癖をもっている。特に、気を遣わなければならない上司や女子の前で、発動する傾向にある。普段リラックスしている時は、思いついた発言の中から、「面白さ」「伝えたさ」を基準に選んで会話している。しかし、上司や女子の前だと、基準が「波風立てなさ」「無難さ」になってしまい、ロクな事が言えなくなる。しかも「無難さ」ならまだ良いのだが、さらに質が悪いのが「手垢のつき具合」で決めてしまうことだ。無難さですらなく、「いかに口&耳馴染みがよいか」で発言を決めてしまっていることがある。要はパクリだ。人と同じでなければ何とでもなる時代に、人がやったことをついしてしまうと悲しくなる。しかも無難とは違い、大きくスベることもある。だけど、スベっても、一番ベタなスベり方だから何も生まれない。
自分の中の無難を塞ぐため、今年から青色の服を身につけることを禁じた。どうにかなってくれることを願う。
人生の出発は、つねにあまい。
2018年末。ファミリーマートの鶏めし&みぞれチキン弁当を食べながら年を越した。わんこそばの代わりにカップ味噌汁と一番搾りを飲み、紅白とガキ使の代わりにyoutubeで日本中のフリースタイルバトルを見ていた。バトルの負けてる方を嫌いな会社の人間に重ねながら、何度も見たバトルなので頭の中で覚えている言葉を映像に合わせて復唱し、熱くなっていた。年をまたぐ瞬間は、abemaTVのニュース番組で小川アナを見ながら迎えた。2019年最初に見た女性が小川アナって、めちゃくちゃ贅沢だ。
フリースタイルバトルを見まくった後は、さぞ日常会話も上手くなっているだろう思うのだが、実際は驚くほど何も変わっていない。むしろ家にいる時間が増えている分、より下手になっていると思われる。この間、最近読んだ『ホモ・デウス』の話を、意気揚々と地元の友だちにしたのだが、反応はイマイチだった。まず、舌が回らない。話しだそうとして、最初の言葉が出てこずに5~6秒沈黙してしまう。極めつけは、「最近すごく面白かったのが~~」という、バラエティっ子とは思えない始め方をしてしまうことだ。
自己啓発本は「挑戦」させたがる。お決まりの言い草はこうだ。「とにかく挑戦しろ。挑戦して成功体験を積むことで自信がつき、次また挑戦したくなる」
だけど、この理屈はおかしい。挑戦したら成功するとは限らないはずだ。ギャンブルで成功するコツを聞かれて、「とにかく賭けろ。賭けてペイバックされれば、それを元手にまた勝負したくなる」と言っているのと変わらない。でも、ギャンブルの必勝法は「とにかく賭ける」ことではない。賭けるタイミングを見極めることが大切だと思う。
失敗するのが怖くて挑戦できない人は、失敗体験を積んでいるのだと思う。何かに挑戦して、失敗体験を積んでしまったので、自信が失われ、新しいことに行動するための億劫さが増した結果、新しいことに挑戦しなくなったのだと思う。でも、挑戦しないことで、長時間かけて人生が大きく失敗してしまうことを考えると、失敗するとわかっていても挑戦せざるを得ないのかもしれない。
正月を過ぎて実家に返った後、生まれて初めて地元のお土産を会社の人たちに配った。チームの会議が終わったタイミングを見計らい、意を決して「お土産を・・」と言って、何人かが僕に気づいた瞬間、声が大きい人が「飲み会やりましょーー!」と言って場の支配権を奪った。しかも、一通り話し終えた後に「では解散!」と言ったせいで、チーム内の人たちはぞろぞろと帰り出してしまった。今思い出しても苦しいが、すでに何人かに気づかれた手前、僕はもう一度「お土産があるので受け取ってください」と蚊の鳴くような声で発言し、会議室の出口にお土産をおいた。その後は気が動転してあまり覚えていないが、周りの人にめちゃくちゃに話しかけまくった気がする。ただ、最後に会議室を出た時に見たお土産は、チームのメンバーが20人いる中で、4個しか取られていなかった。4人、本当にありがとう。
お土産は貰ってくれた方が嬉しいんだ。僕がお土産をもらえそうな時は、必ず受け取ってその場で食べるようにしよう。思い出して心がむしられる失敗体験ではなく、お土産をもらう側のマナーを学んだという成功体験として記憶に残すため、「よかった」「よかった」と呪文のように唱えるのである。
残業話に先はない
仕事のチームに新しい人が入ってくることがある。
新しい人が入るタイミングがいつも急なのは、普段から人月商売をしているくせに、一番のメリットであるはずの人の数が合っていないからだ。「3人でやる仕事です」と宣言してお客様から了承を得たにもかかわらず、最初から1人しかいないみたいな事が多くてうんざりする。神話にすらならない。
新しい人と話すことといえば、鉄板は住んでいる地区の話。みんなが持っている情報だし、少しは興味がある。それに、たとえ住んでいる地区が本当にどうでもよいところであったとしても、駅まで何分とか、なんの電車に乗ってるかという話題で話をつなぐことができるので、会話下手にはありがたい。趣味とかだと、自由度が高すぎて対応できない可能性があるので、こちらから質問したことは一度もない。カウンターで質問を返されたくないからというのもあるけど。
話題が仕事の話になることもある。お仕事系の話は、自分の知らない有益なことを知れるかつ興味もあるので楽しい。ただ注意しなきゃならないのは、相手が知らないことに対して、馬鹿にした素振りを一瞬でも見せたならば、末代まで恨まれることだ。エンジニアに限らず、専門分野を話すときは繊細になることを心がけたい。あと、お仕事の話で気をつけたいのが、残業の話をすることだ。それまで技術の話で盛り上がっていても、話しやすいから・共感を得やすいから・なにか話さなきゃという理由でつい残業の話をすることがある。
このプロジェクトは残業が多いですよー
これから残業ばかりになると思いますー
月何時間残業したことありますかー?
決して話は盛り上がらない訳ではない。でも、残業したい人はいないのだし、絶対に割れない話し合いは、雑談レベルであってもあまり面白くない。残業話からなにか新しい情報が出てきたり、面白い意見が得られることはほとんどない。あったとしても、それを求められていない気がする。そして何より問題なのは、一度会話の偏差値が下がると、なかなか上がりにくいことだ。社畜の話から専門的な話に戻しただけで「真面目か」という雰囲気になってしまう。逆はすぐできるのに。
内気が、ただ内気だけが。
内気はなぜ喋らないのか。岡田斗司夫さんがこんなことを言っていた。
「口下手な人を見ていると、頭のなかで話を構築してから話す人が多い。Aでもない、Bでもない、Cでもない、と自問自答してから口に出す。だから時間がかかったり、話が壮大になってまとまらなくなってしまう。対処法は簡単だ。頭に浮かんだことをそのままA、B、Cと全部順番に喋っていけば良い。」
理屈はわかっていても、俺はこの考えにすごく抵抗がある。思いつくままに話すということは、いかに自分がつまらないかをアピールすることだからだ。いい加減な事をベラベラ喋るほど、相手の中の「つまらん奴ゾーン」「センスなしゾーン」に入れられていくような気がする。もちろん話すことが全て面白い必要はない。しかし、10回に10回つまらないのには耐えられない。喋る人間は常にこの確率と戦わねばならない。これに反して、喋らない人間は話が面白くないとは言われない。人間として面白くないと言われるだけだ(神回避)。
つまらない話をするのも嫌だが聞くのも嫌だ。順序は逆か。つまらない話を聞くのが嫌だから、しないように気を遣うあまり何も話せなくなるのか。嵐の松潤がホンマでっかTVに出ていた時、あなたは「話し始めてから考えるタイプ」と言われていて驚く。そんなタイプが存在するのか。やめてくれよ・・。 そもそも面白い面白くないをセンス的なものだと思っていないことに原因があるのかもしれない。よく考えるのだけど、「痛いコピペ」は、書いた人が面白いのか、それとも見つけた人が面白いのか。僕はやっぱり書いた人だと思う。読む人はそれをただ笑っただけであり、先に変なこと(面白いこと)を書いたっていうのがある。それを人によってどう捉えたかってだけの話でしょう。※未 こういう考えだからどんどん無口が深まっていく。
話は変わるが、今の時代、口下手のメリットってあるのだろうか。言葉で伝えたり、言葉で説明するのが苦手な人間に向いていることってあるのだろうか・・・。 あるのかと言いつつ、多分ないだろうなと思っている。内気人間はアピールが下手だし、経験も同年代より少ない。相手に好かれることが難しいので人と関わる仕事は大変だ。 唯一の希望の光っぽく見える芸術分野にしても、飛び抜けた実力があるわけでないのなら、自分の作品を解説しなきゃいけない。説明する必要がある。別に向いてない。あとはスポーツ選手くらいか。でも引退後のことを考えると口は達者に越したことはないだろう。
■対抗策を考えてみた。内気で口下手が、自分がどういう人間かを伝える方法。
・twitterを公開する
内気な性格でも、結局それを見せなくちゃ伝わらない。 会話して距離を縮められない分、twitterで自分を知ってもらう。 ※twitterやってると公言できない場合は、LINEやメルアドと連携させといてこっそり見させれば良い。
・感情をのせる
感情が高まれば、「あー」でも「うー」でも自然と言葉は出る。 また、同じ言葉がでも感情の有無で重みが変わってくるので、つまらない話でも聞き応えをもたせることができる。そのために、普段から感情を高ぶらせておく。
・エロキャラ
エロなら言葉は使わなくてもいい。不埒なら態度で示そうよ。 セクハラをやり続ければ、すぐに内気な人と思われなくなくなるだろう。 この辺りにわずかな可能性を感じている。
僕のおじいちゃんの世代(70~80)や父親の世代(50~60)は男に多弁を期待されてはいなかっただろう。しかし、だんだん求められる時代になっていった。僕(22)の世代が、男は黙ってDNAが残っている最後の世代かもしれない(もはや残ってないかもしれない)。無縁社会から生まれた子は共同体を自ら作ることを覚える。これから無口な男は減っていくだろうか。時代に踏み潰されて死んでいきましょうね。
実はコミュ力の塊みたいなとこある
2013.11.16に書いた記事を一部修正したもの
小林由依=ごまドレ説
ごまドレッシングが大好きという話から始める。僕は子供の頃から野菜全般が苦手で食べられなかったのだが、「ごまドレ」を知って以降、あらゆる野菜が食べられるようになった。むしろ、ごまドレをかけたいがために、自ら野菜を買うことも多い。
ごまドレが出る前も、ドレッシングは山のようにあった。だが、それらのドレッシングを使用しても、僕は野菜を食べることはできなかった。今ならその理由がわかる。ごまドレ以外のドレッシングは所詮、「野菜を好きな人」が作ったものだ(と思う)。元々野菜が好きな人が、より美味しく飽きずに食べることを目的に作っている。だから野菜の味を引き立てるし、野菜の種類によって合うドレッシングは異なる。
それに対し、ごまドレに合う野菜はない。ごまドレは野菜の味を完全に打ち消してしまうので、合うも合わぬもない。口の中に残るのいつまでたってもごまドレであり、野菜はもはや食感しか残らない。どの野菜にかけるかは、ごまドレにとってほとんど問題にならない。かける対象が何であろうが、文字通り自分の味に変えてしまうからだ。つまり、ある意味では、ごまドレはすべての野菜(というか食べ物)に合う。野菜にかけるドレッシングでありながら、実は野菜と関係がないからこそ、野菜が嫌いな人が愛好するのだろう。ごまドレ好きは決して野菜を好きになったわけではない。
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「誰と一緒でもいい」
というのは、欅坂46の小林由依の言葉である。『欅って書けない』という番組のコーナーで、「自分ヒストリー」というものがあり、そこでのやりとりが今も心に染み付いている。小林由依というぼっちキャラ(自分で言ってる)の自己紹介での一幕。
小林 中学生になっても一人が好きなのは変わらなくて、中学3年生の修学旅行のグループ決めのときに、余ったグループに入りました。そのように言うと、なんか寂しい子なんじゃないかなと思われがちなんですけど、余ったグループに入ったりする理由は・・・
澤部 寂しいですね 結局。
土田 起死回生のフリップが出るのかなと思ったら
澤部 結局寂しいですね。
小林 誰かと一緒じゃなきゃやだとか、誰がいるからこのグループは嫌だとかがあんまりなくて。
この言葉が「寂しい」と受け取られるのは、他人に対して興味が薄く、かつ、愛情を受けていないように見えるからだろうか。しかし、小林がフリップを出したタイミングを考えれば、寂しいと思っていないことがわかる。この場合での「誰と一緒でもいい」は、「誰といようが自分は変わらないので、誰と一緒でも関係ない」って事なんじゃないだろうか。
ここ最近、小林由依の人気が上昇していて、「ゆいぽんセンター待望論」まであったのは、この性格と無関係ではないと思う。どんな場所で誰といても関係なく、いつでも同じスタンスだったからこそ、じわじわとリピーターが増えていった印象がある。
「誰と一緒でもいい」ことは、「誰にでも合わせられること」ではない。その時々で出会った相手の良さをうまく引き出す名司会者なのではなく、相手が誰だろうが自分はそのままでいるということ。つまり、小林由依はごまドレなのである。
クズのルーティン
「ルーティン」という言葉は良い意味で使われすぎている。
「ルーティン」と聞いてまず連想されるのは、イチローが試合前に必ずカレーを食べていたとか、キックする前の五郎丸ポーズとか、仕事のパターンが作れれば効率よくいくとか、その辺りだろう。だが、これらをもって、ルーティン=良いものだと認定するのは間違っている。イチローらは元々調子良く行動をしていたからルーティン化してもプラスに働くのであって、ダメ人間のクズな行動がルーティン化したところで誰一人得をしないし、本人のためにもならない。
働き始めて5ヶ月。
通勤片道1時間半の場所に配属にされ、否が応でもルーティンはできてきた。
しかし、怠惰で不満足な生活を繰り返して出来るのは、当然怠惰で不満足なルーティンであり、そんなものは誰からも憧れられないのであった。
僕のルーティン #平日編
- 欅坂46「不協和音」の目覚ましで起きる。
- 布団の中で、録画しているフリースタイルダンジョンのどこかの試合を見る。
- 電車内では本を読む、バスではスマホを見る。
- バス内ではスマートニュースで「はてな」「コラム」の順に読む。その後は、欅坂46関連のまとめブログを読む。
- バスは優先席に座る。
- 会社の下のコンビニで水とウイダーを買って飲む。
- 会社に着くと、僕の右隣の人だけに挨拶し、PCで勤怠を記入する。
- 始業後30分が経ったらタリーズコーヒー(120ml)を買う。
- 昼休みには、サラダパスタと炭酸水(無印、コーラ、レモンのループ)とフロランタンを買う。
- ご飯を食べながら、スマホで「Cakes」の記事を見る。
- 15時~15時半ごろに、くるみ or カシューナッツを食べる。
- 絶対に挨拶を返してくれる人達に向かって挨拶しつつ、いそいそと退勤する。
- 家の近くのスーパーで弁当(チキンカツ、メンチカツ)とサラダとお菓子(ドトールが販売しているチョコ)を買う
- 夜ご飯を食べながらウエストランドの「ぶちらじ」を見るか、動画サイトでバラエティ番組を見る。
- 23時には寝ようと思いつつ、気がつくと24時を過ぎている。
- 陽気な音楽をかけながら明日のシャツにアイロンがける。
- オードリーのオールナイトニッポンを聞きながら寝る。
ルーティン云々よりも、23時に寝なきゃいけないのがおかしい。じゃあどうして深夜番組があるのかって話だ。その時間に起きていても、次の日の会社に間に合う人が多いからでしょう。さっさとお引っ越すぞ。ルーティンを変えるのが難しいなら、環境を変えるしかない。海の見える場所に。