無意味のような生き方

組込みエンジニアが怒りと無念をさえずるブログ。

『ホモ・デウス』が死ぬほど面白い

『ホモ・デウス』が死ぬほど面白かったのでまとめる。

前作『サピエンス全史』がサピエンスの過去がテーマだったのに対して、本作はサピエンスの未来について書かれている。前作は上巻が面白さのMAXだったが、今作は下巻が圧倒的に面白い。サピエンスがこれからどうなっていくかを考察する上で、過去からさかのぼり、現在→未来へと話をつなげるのだが、このスライドが上手すぎて、そうだとしか考えられなくなる。あと、実はパンチラインが豊富で「農業革命によって、アニミズムの壮大なオペラを人間と神の対話劇に変えた。科学革命によって、世界は今や人間のワンマン・ショーになった」とか「あなたが本が読んでいる間に本があなたを読むようになる」みたいな言い回しが随所に挟まれていて気持ちいい。

 

本書では《意味を与える主体》の変遷を元に歴史が語られる。森羅万象の出来事に意味(や目的や価値)を与える主体が、歴史の中で神から人間へ、そして人間からデータへと変わっていくことが説明される。

 

  • 神の時代

まず、飢餓や疫病に立ち向かうすべをもたなかった時代(~1700年頃)、多くの災いは神によってもたらされたと考えられていた。何かひどいことが起こると、人々はその出来事を神が作り出した壮大なドラマの中に位置づけ、以下のように自分を納得させた。「私たちはみな、神が作ったドラマの登場人物にすぎない。私が今苦しんでいるのも、そういう脚本を作られたのだからしょうがない。しかし、神は善なので、最終的には最善の結果が得られるに違いない。少なくともあの世では。」人々は、災いに対して無力であったが、神によって意味を与えられていたため、心理的に守られていた。その代わりに、好き勝手なことをすることはできなかった。自分勝手に生きることは、神の教えには書かれていなかった。

 

だが今日、神の教えを考えない。もし私たちに恐ろしいことが起こったとしても、このことに何の意味があるんだろうとは考えない。ただ原因だけがあると信じている。ひどいこと(疫病など)が起こったなら、「ひどいことが起こったなあ」と思うだけだ。その代わり、疫病の原因を突き止めて対処することに全力を尽くす。

 

  • 人間の時代*1

現代の取り決めは前代未聞の力を与えることを私たちに約束し、その約束は守られた。さて、それではその代償はどうなのか?現代の取り決めは、力と引き換えに、意味を捨てることを私たちに求める。人間たちはこの背筋の凍るような要求に、どう対処したのか?それに従えば、倫理学も美学も思いやりもない、暗い世界がいともたやすく生じえただろう。ところが実際には、人類は今日、かつてないほど協力的であるばかりでなく、以前よりもはるかに平和で協力的だ。人間はどのようにそれをやってのけたのか?神も天国も地獄もない世界で、道徳性と美、さらには思いやりさえもがどうやて生き延びて、盛んになったのか?(下巻,p.31)

 

もはや私の苦しみは神のせいではない。だからこそ、私たちは災害や飢餓に意味を見出さず、克服できるものとして扱うことができる。しかし、同様に、私たちどう行動するべきかも、美しさの基準も、他人を助ける理由も、神は与えてくれない。神がいなくなったことで、すべてが無意味になってしまい、何を考えて何をするべきか、私たちが混乱しないのは何故なのか。本書によれば、神に頼る宗教が衰退したタイミングで、「人間至上主義」という別の宗教が世界を席巻したおかげだ。

 

人間至上主義が征服している。人間至上主義は、神の代わりに、人間性を崇拝する。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけではなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。意味のない世界に意味を生み出せーこれこそ人間至上主義が私達に与えた最も重要な戒律なのだ。(下巻,p.34)

 

人間至上主義により、私たちは、何が美しくて、何が善で、何をするべきか、自分で決める力を得た。神によって意味を与えなくても、ただ自分の心に問うことで、答えを知ることができるようになった。「お前はこれを本当にやりたいのか?もしそうなら、お前はそれをするべきだ。」「私は苦しい。それは悪いことだ。よって、戦争は悪い。」

 

しかし、みんなが好きなように生きているのに、現代で秩序が崩壊していないのは何故なのか?本書によれば、これも人間至上主義のおかげだという。好きなことをしたいのと同様に、嫌なことをされたくないという思いも全員がもっているからだ。自分にとって嫌なことは、社会的にも悪いことである。社会のルールを決める上で、「私が嫌だから」というのは全うな理由として受け入れられる*2。人間至上主義により、秩序はむしろ強化された。かつて、何かが悪い理由は、聖書から探してこなければならなかった。逆に言えば、私たちが考慮するのは、神が定めている範囲だけでよかった。しかし現在、「自分が嫌だから」ということだけで、悪い理由を個人が与えることができるようになり、膨大な範囲に対して気を遣わなければならないようになった。

 

  • データの時代

この本がヤバいのはここからだ。このような人間至上主義の根底にあるのは、「自分のことは自分が一番よく知っている」という考え方である。周りがなんと言おうと、自分が「傷ついた」と言えば傷ついている。だからこそ、あなたは自信をもって他人を加害者に仕立て上げることができる。好きなことについても同様だ。自分が何が好きで何をしたいかについて、一番決める権利があるのは自分自身だ。(好きなことをする権利でなく、決める権利)もし、自分の欲求や情動がわからなかったら、自分の心の声を聞いてみればいい。自分の心の声を聞く唯一の方法は、静かな場所で一人座禅を組みながら考えることだ。

 

このように、個人の意味を与える能力は「自分のことは自分が一番よく知っている」に基づいている。しかし、この考えが今、生命科学によって揺らいできているという。現在の生物学において有力な主張は以下の3つである。

 

1.生き物はアルゴリズムの集合であり、単一の自己はない
2.人間を構成しているアルゴリズムは自由ではない。それらは遺伝子と環境圧によって形作られ、決定論的・あるいはランダムに決定を下す。
3.アルゴリズムは私が自分を知るよりもはるかに私を知りうる。外部のアルゴリズムは、私の体と脳を構成するシステムの1つ1つをモニターしていけば、私がどう感じているか、何を望んでいるかを正確に知りうる。

 

1と2は、生き物も同じようなアルゴリズムで動く機械にすぎないという主張だ。1と2が正しいならば、3が言っている、自分自身について一番知っているのはアルゴリズムだ、という主張も全く不思議ではない。現に、医学に関しては、既に多くの人間がこの原理に従っている。スマートウォッチで心拍や眠りの質、一日に歩いた歩数などをモニターし、健康状態や予測寿命に関して私のことを私に教えてくれている。

 

個人の一挙手一投足がデータとして蓄えられ、アルゴリズムによって分析されると何が起こるか。本書によると、アルゴリズムは、一旦巫女として信頼されれば、すぐさま代理人に、さらには君主に進化する。巫女の時点では、信頼できる情報提供者にすぎない。例えば、外で昼ごはんを食べたい場合、自分が今いる位置と食べたいものの情報を教えれば、巫女は候補となるレストランを教えてくれる。これが代理人の段階になると、私達は最終目的だけを告げればよい。「昼ごはんが食べたい」という情報だけを伝えれば、代理人が候補の中から最適なお店を予約してくれるだろう。そして、アルゴリズムが君主になったならば、私たちの欲望を形作り、私たちに代わって決定を下しはじめる。私の健康状態と感情について私より詳しくなったアルゴリズムは、私にとって最適なお店を予約することはもちろん、その時間に昼食をとりたいという欲望をもつように、私を操作しはじめるだろう。

 

人間至上主義を崩壊させるのは、コンピュータ科学と生物学だ。本書によれば、責任は生物学者の方にある。生き物がアルゴリズムと異なる機能の仕方をするのなら、コンピュータは人間を理解して、行動を導くことはできない。本書のラストでは、人間はアルゴリズムなのかという問題が提起されており、この問いは保留のままで終わっている。しかし、生き物がアルゴリズムであると結論した瞬間、生物と非生物の壁は取り除かれ、人間の特権は失われ、人間至上主義は崩壊する。

 

では、私達(の子孫)を導いてくれるのは、どんな宗教またはイデオロギーなのだろうか?本書によれば、「データ教」と呼ばれるものだ*3。データ教の教義は、データこそが意味を与えてくれるという主張だ。ここでデータとして想定されているのは、情報よりも原始的なものである。人間はデータを洗練して情報にし、情報を洗練して知識に変え、知識を洗練して知恵に昇華させるべきだと考えられていた。ところがデータ至上主義者は次のように見ている。もはや人間は膨大なデータに対処できず、知識どころか情報にすら変えることができない。人間が知識を獲得することはもはや諦めて、データ処理はすべてコンピュータに任せるべきだ。あなたに必要なのは、自分宛てのメールにもっと早く返信することだ。そして、データ処理システムがそれを読むのを許すことだ。

 

データ教は次のように言う。あなたの言動の一切は大量のデータフローの一部で、アルゴリズムが絶えずあなたを見守り、あなたのすること、感じることすべてに関心を持っている。熱狂的な信者にしてみれば、データフローと切り離されたら、人生の意味を失う。何かをしたり味わったりしても、誰もそれを知らないとしたら(=アルゴリズムの一部にならなかったら)、何の意味があるだろう。人間至上主義者は、自分の中に意味見つけることで、親鸞万象の意味を与えなければならなかった。しかし、データ至上主義者によれば、私たちはもはや自分の中に意味を見い出せない。その代わり、自らの経験をデータフローの中に投入すれば、アルゴリズムが意味を見出して、あなたの価値を教えてくれる。将来、あなたが自分について知りたいのなら、DNA配列の検索を受け、血圧と心拍数を24時間測定できるウェアラブル装置を身につけ、ありとあらゆる情報を記録してネット上に提示すればよい。そして、グーグルとフェイスブックがその情報を読むのを許可すればよい。そうすれば、偉大なアルゴリズムが、誰と結婚するべきか、どんなキャリアを積むべきか、世の中で何が流行っているか、これから戦争を始めるべきか、何でも教えてくれるだろう。森羅万象に意味を与えるのは、アルゴリズムなのだ。

 

 

「やばかった」としか言えないけど、少しだけ感想を書いておく。僕は今まで人工知能とかIoTに関心がなかったが、この本を読んで今更ながら興味を持ち始めた(たぶん技術者の中で最後)。これまで人工知能の話題といえば、「人工知能に奪われない仕事は?」とか「自動運転者の事故は誰の責任なのか?」みたいなのだが、正直この本の前ではケシ粒ように小さな話題だ。自動運転の問題は今のところ解決策がないように思えるけど、時期が経てばきっとアルゴリズムに従いはじめるよなあ思う。1回1回のミクロな視点では飛行機が墜落する可能性があっても私たちが飛行機に乗るように、自動運転者が1回や2回後から考えて損する結果を起こしたとしても、自動運転の判断を信頼するようになるだろう。というかそもそも、データ至上主義が支配した世の中では「命の価値」はどうなるんだろう。人間が価値を与えることは簡単だが、データが与えるとなると難しそうだ。人間は、もし死んだら死亡データがカウントアップされるだけだが、生きていれば多種多様なデータを提供してくれる。死人と生者では後者の方がデータ提供者として魅力的なので、人間が生きることには価値があります、みたいになるのだろうか。

  

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

 

声の網 (角川文庫)

声の網 (角川文庫)

 

 最強の副読本としておすすめ。

*1:a.k.a.ボクらの時代

*2:少数の嫌なことは多数の好きなことであるかもしれない。例えば、金持ちが税金を収めるとか、富を分配するとかは、金持ちにとっては嫌なことだが、庶民にとっては好きなことだ。このような好む人もいれば嫌う人もいる事柄は、権力の移行によってルールが変わっていったが、ほとんどの人が嫌う殺人などは悪いこととして強固なルールになっている。

*3:本書ではこの部分は、「テクノ至上主義」もしくは「データ教」という書き方がされている。「テクノ至上主義」は、一部のアップグレードされた人間だけが意味を与えるようになるという主張だ。アップグレードされた人間は「ホモ・デウス」と呼ばれ、この本のタイトルになっている。上巻は明らかにこのアップグレードされた人類をテーマに書かれており、読んだ人の全員が「あ、改造人間がテーマなのね」と思っただろう。しかし、下巻になると、「テクノ至上主義」もしくは「データ至上主義」と、並列で語られるようになり、最終的には、「より興味深いのはホモ・デウスじゃないほう!」と言われる始末。結構序盤でホモデウス関係なくなっちゃった。(byハライチ)

『勝手に選別される世界』

 

2016年ベスト本。

 

勝手に選別される世界――ネットの「評判」がリアルを支配するとき、あなたの人生はどう変わるのか

勝手に選別される世界――ネットの「評判」がリアルを支配するとき、あなたの人生はどう変わるのか

 

 

 

評判(reputation)によってすべてが決まる未来。そこでは銀行がいくら貸してくれるか、大家が部屋を貸してくれるか、会社が雇用するか、デートの相手が誰になるかに至るまで、評判によってすべてが決まる。この世界で生き残る方法はただ一つ、良い評判を稼ぐこと。この本は、なぜ評判が世界を支配するのか、その未来では何が起こるのかについて詳述し、その世界で私たちがどう生きていけばよいのかを教えてくれる。

 

以降、3つのセクションに分けて簡単に要約する。

 

【① 背景:なぜ評判によって決まる世界が到来するのか?】

 

2章 すべてが保管される

評判世界の訪れは、2016年流行りの「ビッグデータ」と大きく関係している。膨大な量のデータを保管できるようになったことは、そのデータを解析する「ビッグアナリシス」を可能にする。評判世界は、ビッグアナリシスによってすべてが決められる世界のことだ。

 

大量のデータが保管されるようになったのには、主に2つの要因がある。

1. 記憶量の増加
1997年初めて太陽系の外に出たボイジャー1号の記憶量が68KBであったのに対し、iphone5Sの記憶量はその100万倍の64GBである。

 

2.  保管≫削除
1000ドルを使って削除できるデータが僅か80万バイトであるのに対し、追加の記憶装置を買うならば、同じ値段で100テラバイトのデータが手に入る。データを削除するよりも新たに容量を買った方が圧倒的に安い。これによって、データを「削除する」という考え自体が消えつつある。

 

この2つの要因により、膨大なデータが永久に保管される。出合系サイトのプロフィール、映画のレビュー、twitterでの悪口、たまたま店員を怒鳴った時に撮られた写真、ホテルで文句を言ったことに対する従業員の書き込み。これらは本人が死んでも残り続ける。更に、今後これらはリンクするようになっていく。ネットに撒かれた画像は顔認証ツールによってフェイスブックのプロフィールと結びつけられる。アメリカにはそれを得意とする「スポキオ」という会社がかつて存在していたらしい。

 

 

【② 現象:評判世界では何が起こるのか?】

 

4章 すべてが機械化される
DAMM(Decisions Almost Made by Machine, ほぼ完全にマシンに下される判断)によってあらゆる物事が決められる。一番分かりやすいのは雇用だ。大企業に数多く送られてくる応募の中から、最低限の資格(「university」「職歴」)が含まれているかどうか検索され、次のステップに行けるかどうかふるい分けされる。

 

6章 すべてが定量化される
これまで大学は市場(雇用者)に対して2つの役割を担ってきた。1つは「教育」としての役割。雇用者は、大学を卒業した人は一般的な批判的思考力から特定の技術的知識までを含むスキルを身につけているだろう、と一応期待する。もう1つは「シグナル伝達」としての役割。他に何の情報もない場合、雇用者は、ほぼあらゆる仕事に対して、平凡な大学を出た人よりも一流大学を出た人の方がよい仕事をする可能性が高いとみなす。

 

だが、この2つの役割は将来的に不要になる。まず「教育」の方は、同価値をもつオンライン教育が浸透しつつある。さらに「シグナル伝達」の役割(肩書としての役割)も、オンラインテスト等の新たな分析手法によって本人の技能を正確に測ることができれば、完全に不要になる。○○大学という肩書は価値を失い、〈この会社のこの特定の仕事で手腕を発揮できるかどうか?〉という点が判断されるようになる。

 

8章 すべてが互換性をもつ
NBAのスター、レブロン・ジェームズは良いベビーシッターになるか?」この問いに答える方法はこれまでなかった。評判世界では、評判が互換性をもつようになる。ある分野で技能をもつことは、他の分野での技能を発揮する証拠として機能する。評判を集めるエンジンは、その人にまつわる複数の領域を横断してスコアを集積し、スナップショットを提供してくれる。

 

9章 すべてが脱文脈化される
評判世界の恐ろしい所は、一度悪い評判がつくと、それが一生つきまとう所だ。自らに悪い評判がつくことに対し、身を守るすべはない。重要なことは、常に警戒を怠らず、迅速に対応し、被害を最小限に留めることだ。

 

 

【③ 対策:評判世界をどう生き抜くか?】

 

10章 すべてが先手必勝になる
2013年、フェイスブックは膨大なデータを処理するためのデータセンターをオレゴン州に設立しようとした。しかしながら、オレゴン州は環境運動のメッカであり、そこに大量の電力を消費するデータセンターを建てれば猛反発をくらうこが予想された。そこで、建設中、フェイスブックはその議論が生じる前に、議論の枠づけを行うことにした。施設の電力使用量は取り上げず、電力使用の効率性(どれだけ無駄なく使用しているか)をアピールし、むしろエコロジーであると印象づけることに成功した。大事なのは、議論が起こる前に、議論のテーマを自分に有利なようにコントロールすることだ

 

まとめ レピュテーション経済で生き残るルール
・パイオニアになる
・常に先回りをする。
・自分にしかできないことをする。

 

 

【感想】

人と会うたびに相手が自分のことを評価しているような気がして、すごく息苦しくなっていた時期に見つけた本。章のタイトルをざっと見て「これや!」と思い、即借りた。

ただ、内容は僕が感じていたものとは違って、評価・評判主義を批判した本ではなく、評価主義に否が応でも向かっていく未来を予言した本だった。評判世界では、評判・評価から逃れるこれはできない。なぜなら、評判を発信するのは人だけではなく、twitterのフォロワー数やクレジットカードの残高だったりするからだ。評価されるのが嫌で引きこもったところで評価は下される。そう思うと、どうしようもなくなって少し諦めがついた。

 

僕が評価・評判を嫌いな理由は、評価を得るために必ず競争が起こるからだ。オリンピックのように明らかな競争はともかく、いかにも競争じゃないふりして実は内心で競争している状況が大嫌いだ。勝つのも嫌だが、負けて傷つく自分を知るのも嫌だ。

この本を読んで目からうろこだったのは、評判世界は通常の競争社会を導かないことだ。すべてが「定量化され」「ランク付けされ」ることによって起こるのは、1位以外が価値をもたない世界だ。「世界一」だけが勝者の世の中は、競争社会と呼んでいいのか迷う。(有り体にいえば「超競争社会」となるのだと思う。)

だからこそ、とこの本は言う。世界一しか価値をもたないなら、世界一になればいい。幸いなことに、これからの社会は世界一を見つけてくれる。ヨーヨーが世界一上手い人、世界で最も優れたピエロ、そして、世界一の「ヨーヨーができるピエロ」も、評価世界は見つけ出してくれる。自分にしかできないことをすればいい。

 

 

『白と黒のとびら』 第9章 「不毛な論争」まとめ ①

白と黒のとびら』(川添愛、東京大学出版会)を読んでいる。

前半の山場である9章「不毛な論争」の内容が、一度読んだだけでは頭に入ってこなかったので、ここにまとめておく。

 

証明
①『規則』で表せる文はすべて『装置』で表すことができる。
②『装置』で表せる文はすべて『規則』で表すことができる。

 

「装置」の定義(p.174)
・白と黒の扉のついたいくつかの部屋からなる遺跡であること。
・一定の条件に従って、筒の中身が変化すること。
・どの部屋でどの扉を選ぶか、また筒の中身がどのような状態にあるかによって、移動先の部屋が決まること。
・筒の中身は、後から入れたものほど先に出され、先に入れられたものは後から出されること。

 

「規則」の定義(p.174)
・「→」の左側に「いずれ何らかの文字列に置き換えられる記号」を一つだけもつものがあること。
・「→」の右側に、文字列か、「いずれ何らかの文字列に置き換えられる記号」か、あるいはその両方をもつものがあること。

 

予備知識
第一古代クフ語(一つ以上の○の後に、同じ数の●が連続する文字列のみを文とみなす言語(p.78)。この言語の文の例:○●、○○○●●●、○○○○○○●●●●●●。)
以下で、この言語のあらゆる文が、規則と装置のいずれによっても表現できることを示す。

 

f:id:ikenohotorino:20161124083351p:plain★(1)と(2)の規則によって、第一古代クフ語のあらゆる文は表現可能。

・最初に(2)を使うと○●という第一古代クフ語の最短の文が作れる。
・最初に(1)を使うと、Sが残るため、次に(1)か(2)を使用する必要がある。ここでもし(2)を使うと、○○●●という二番目に短い文が作れる。(1)を使うと、また(1)か(2)を選ぶ地点に戻る。(1)を繰り返すことで文を無限に長くしていけるため、規則(1)(2)で第一古代クフ語のすべての文が表現できる。

 

f:id:ikenohotorino:20161124084422p:plain

 

★この装置によって、第一古代クフ語のあらゆる文は表現可能。

・出口へ行くためには部屋Bに行く必要がある。だが、部屋Bへ行くためには黒い石が必要であるため、少なくとも1回は部屋Aで白い扉を開かなければならない。そこで部屋Aで白い扉を開くと、黒い石が手に入る。ここで黒い扉を開くと部屋Bへ移動し、黒い石は取り去られる。もしここで筒が空ならば、出口に着く。これが最短(文○●)。
・もし、部屋Aで二回以上白い扉を開けると、その分だけ黒い石が溜まる。筒が空でなければ外に出られないため、二回目以降に獲った黒い石は部屋Bの黒い扉を同じ回数だけ開けることで消費される。従って、部屋Aでの二回目以降の白い扉を開けた回数と、部屋Bで黒い扉を開けた回数は一致する。
・部屋Aで白い扉は何度でも開くことができるため、第一古代クフ語のすべての文を表現することができる。

 

ひとまずの結論
・第一古代クフ語に限っていえば、あらゆる文は『規則』でも表現できるし、『装置』でも表現できる。
・証明したいのは、古代クフ語全体について、『規則』で表現できる文は『装置』でも表現できて、その逆も成り立つということ。言い換えれば、『規則』で表現できて『装置』で表現できない文(あるいはその逆)は存在しないことを示す。あと数ステップ必要みたいだ。
・[ひとつ思うこと]第一古代クフ語の文は無限個存在する。『規則』や『装置』は、第一古代クフ語のあらゆる(無限個の)文を表現できると言い切ってよいのだろうか。ある文について対応する『規則』や『装置』は示せる。が、それに尽きると言ってよいのか。もちろん直感的には分かるけども。南無―。続く。

 

 何気に戦闘シーンもあって面白い。

『ゼロから始める オクテ男子愛され講座』 ②

↓前回のブログ↓ 

ikenohotori.hatenablog.com

 引用(モテる方法)+ 自分の感想

 

 

STEP7 「片思いの温度」の理解が成功の鍵

要するに「いい人」になること。それが初心者が彼女を作る一番の王道です。 

唐突だが、僕が言われたいセリフ、ベスト2を発表したい。

 

2位は「いい人ですね」

昔から悩み相談の頻出ワードだが、なぜこれが嫌なのか分からない。”嫌っていない宣言”をしてくれた事が大変うれしいじゃないか。ちなみに僕は一度も言われたことがない。

1位は「黙ってばイケメン」

これもすごくパンチ力のある褒め言葉だ。顔の高評価に加え、お喋りだと認めていのだ。これも一度も言われたことはない。

 

 

女性が一緒にいて楽しいと思うのは、リラックスして会話を楽しめる男性。感情は相手に移るので、あなたが緊張していると相手も緊張するし、あなたがリラックスして楽しんでいると相手もリラックスして楽しめる。

これも難易度高い。自己評価がだだ下がりの時期だと、俺なんかと話すよりも沈黙の方がマシだろうと考えてしまう。

 

 

【STEP8 正しいアプローチ】

[理想的なメールの文面]お疲れさま!前に言ってたパスタの美味しい店、よかったら一緒に行きましょう。来週か再来週の予定はどうですか?

行きま「しょう」って凄い。誰でも言える「お疲れさま」からの、ステップ、ジャンプが超人レベルだ。「よかったら」という仮定からの「行きましょう」は、文法的に成立してるのか。そして来週か再来週というアバウトな日時の指定よ。断りにくいかもしれないが、断られたら100%嫌われてるのがきついですね。

 

「会っているときはデレ、メールはツン」
初心者はその逆をやってしまいがち。会っているときはあたりさわりのない会話をして、もちろん手をつないだりもしない。そしてデートしたあとに「今日はすごく楽しかった!やっぱり○○さんは素敵な女性です!ぜひまた会いたいです!」と好意丸出しのメールを送ってしまうとか。

これも難しい。内向的あるある「メールだとテンションが高い」の逆だ...。なんかだんだん腹が立ってきた...。

 

ジョナサンな態度を心掛けて「変なことする人じゃない」という信頼感を与えましょう。かつ「友人と食事に行った」「同僚と飲みに行った」という話をさらっと出して「友達もいて健全な社会生活を送っているアピール」をしてください。

これ!!穂村弘がよくやってるやつだ。彼はさりげないところで友人(特に女性)を登場させるのが非常にうまい。

 

親しくなる前は「長時間だと会話が続くか不安」「お酒が入った方がリラックスできる」と考える女性が多いので「さくっと晩御飯」がおすすめです。

 「さくっと」という擬音が嫌い。

 

 

【STEP9 友達どまりの脱却法】

女性はどんな時にドキドキしてときめくのか?主にこの2つです。
・「男らしい」「頼りになる」と感じたとき
・「手をつなぐ」など肉体的接触をしたとき

 今までの何だった!!!結局いい人いらんやんけ!!!

 

皆さんも自分が女だったら、どっしり受け止めてくれる包容力のある彼氏を求めませんか?現代社会に生きる女性は日々戦っているので、好きな人の前では「自分」をさらけ出したい。でも自分より弱い男の前ではさらけ出せない。

なんかなあ。まず女性に対し「守りたい」と全く思わないから、「守られたい」女性の気持ちも全く分からないんだよなあ。どっしりと受け止める男は同性から見て全く憧れない。むしろ自分に自信なくてもがいてる男の方が数倍魅力的に思える。現代社会に生きる女性は日々戦っていて十分「強い」はずなのに、さらに上の強さを求めているのか...。なんかもう完全にどうでもよくなった。

 

初デートは「お試し感覚」で会う場合も多いけど、2回目のデートに来てくれたら「ほぼ確実に嫌われてはいない」と言えるでしょう。そのあと、3回目のデートに来てくれたら「好かれてる可能性も高い」と考えられます。

もういい。途中だけどやめる。③はもう書かないと思う。好きなように生きようよ。これが好きという自信をもつことと、あとはできる限りで相手のことを慮ればいいじゃない。まず、これ読め。

 

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

 大丈夫、まだ二村ヒトシがいる。

 

『ゼロから始める オクテ男子愛され講座』 ①

最近コミュニケーション関係の本を読み漁っている。

 

そんな中、この本が心にグサグサ刺さったので、印象に残ったフレーズと感想をメモしておく。( ※以降【】内は本の目次 )

 

 

STEP1 見た目を変える

[服について]店員に「どんな服をお探しですか?」と聞かれたら、「合わせやすくて、さわやかな感じ」と答える。

難易度たけー。このまま言うのはいかにもテンプレで馬鹿にされそうだ。「合わせやすい」って言うと「何に合わせるの?」って返されそうだし、「さわやかな感じ」というのは夏まわりの時期しか通用しない気がする。

 

[服について]洗濯物をすぐ干さずに放置すると腐臭が発生します。また、部屋干しだと生乾きでクサくなったり部屋のニオイがうつったりするため、天日干しして風を通すのがベスト。/洗えない服は、布用消臭スプレーをシュッシュして、外に吊るして風を通しましょう。

参考にする。大学の4.5年間、ほとんどの日を臭い服で通学していた自信がある。シャワーも2日に1回くらいしか浴びなかったし。今考えると異常だった。そりゃあ女子から話しかけられないわけだ。(他にも問題はあっただろうが..。)

 

 

STEP2 第一印象を磨く】

[口調について]緊張すると小声でボソボソしゃべったり、つい早口になってしまいがち。落ち着いた口調でハッキリしゃべるを意識して慣れるようにしましょう。

小声ボソボソは頻繁にやってしまう。絶対に、思春期と大学時代に聴いていた川本真琴のせい。 『1/2』のなかで「くちびる」を「きゅちびる」と言ったり、「考えてもみるけど」を「考えてもみるけえど」と言ってるのに憧れてこうなった。いい加減治しなさい。

 

[好かれない言動について]遅刻してきて謝らない・初対面なのにタメ口で偉そう・目の前であくびする・「眠い」「疲れた」を連発する・顔に向かって指や箸を指す・会話しながらしょっちゅう携帯を見る・・・など。

携帯はしょっちゅうやってしまっている。集団で話に入れない時、失礼だと知りながらも、手軽なのでついつい逃げ込んでしまう。が、おそらく本人は逃げ込んだつもりでも、傍から見たら精神的に幼いのが丸出しで滑稽に写っているだろう。理想はこちらから話に入ることだが、たとえそれが出来ず心臓がバクバクでも堂々としていた

 

 

STEP3 会話力を上げる

[初対面の相手に「休みの日は何をしてるんですか?」と質問したところ、「ケーブルテレビでドイツのサッカーの試合を観てます」と返ってきた。こっちは全く興味がない。]主語を「ドイツのサッカー」でなく「相手」にすればオッケー。
「(あなたは)そのチームのどこが好きなんですか?」
「いつどんなキッカケで好きになったんですか?」
「なんで他の国でなく、ドイツのチームが好きなんですか?」
「サッカーはしてましたか?」
「ドイツ(または他の国)に行ったことはありますか?」

内容のことを聞いてしまうと、知識を披露するだけになってしまう。余程のことがない限りwikipediaを越えられない。今の時代、人の話ならではの特徴ってその人がどう思ったかしかなさそうだ。すごく参考になった。一つだけメモっておくと、「なぜ?」に答えるのは労力が高いとが就活してわかったので、頻発しない方がよさそうだ。

 

皆さんも、立て板に水のようにペラペラ話す人に好感を抱くわけじゃありませんよね?シャイで口下手でも一生懸命に話す人は「誠実で信頼できる」「人柄がよさそう」と思いませんか?それは女性も同じです。

 はい。

 

 

【STEP4 プロフィール】

ズッコケエピソード(ちょっとした失敗やトラブル)も「気取ってなくていいな」と好印象につながります。

 これとこの後の自虐エピソードとの違いがわからない。

 

 

STEP5 会話で初心者がやりがちな失敗】

自虐ネタには要注意。「つまらないサラリーマンですよ」といった発言も、本人は謙遜のつもりでも「卑屈」と受け取られることもあります。それに相手もなんと返していいかわからないし。

twitterに「失敗談」と「自虐ネタ」の違いがわからないと呟いたところ、「エピソードに対する態度の違いなのでは」というコメントを頂いた。ある経験にポジティブないし無関心(0~+)な態度をとっている場合「失敗談」になり、ネガティブな態度(-)をとっている場合「自虐ネタ」になるという説。上手い分類だと思う。だが、区別はともかく、ポジティブなのは失敗談と呼べるのか?失敗談に対し〈その失敗があったから今の成功した自分がある〉を接続されたら、そりゃ人生全体で考えたら成功談なのでは?と言いたくなる。

 

 

【STEP6 女心が一気にわかる!5つのポイント】

「女性は自分以外の人間への態度をよく見ている」と胸に刻みましょう。そして「いつなんどきでも、誰に対しても紳士たれ」と血液のビートに刻みましょう。

前半に書いてあった、ジョジョでいうとジョセフでも承太郎でもなくジョナサンを目指せ、というアドバイスがわかりやすくて良かった。「僕は本当の紳士を目指している!」という名言は受け入れ易い。「本当の」がつくことで女尊男卑っぽい部分を排除できているのが上手い。つづく。⇒